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2009年6月の17件の記事

優秀な人の話

教養学部の時に、ゼミを取ると点数が上がって進学振り分けに有利というアドバイスが確かあったと思う。

授業で習っていた数学の先生のゼミに参加してみた。

そこには、九州のある私立中高一貫校からきた4人組がいた。
A、B、C、Dと呼ぶことにする。

残りの3人から先生と呼ばれている細いAは、先生と対等に話をしていた。
すごい!!とびっくりしながら、ゼミに出席した。
弟子と自称しているB、C、Dは、本当にAを尊敬しているようだった。

数学科に進学すると、Bだけが一緒だった。

Aはインドに行き、とある数学者をたずねて放浪していると、Bは言った。

Bは、学部進学後の、必修の四科目すべて一発で合格した。

私は一発で合格したのは一科目だけだった。

大学卒業後、Bは、四谷にある私立大学の大学院へ行き、現在は某大学の数学科教授。

Cは、ある大学のある学科の教授になった。

ある場所で、思いがけず二回ほど再会し、びっくり。またテレビの放送大学にも登場していてびっくり。

みんなそれぞれ優秀で努力家らしい。


インターネットで経歴を見てびっくりした数学者を一人。

もちろん面識はないのですが。

あまりにもすごいので。

河東教授の留学経験

より引用させていただきました。


アメリカの数学科大学院(博士課程)について最初に強調すべきことは,基本的に 授業料はタダないしタダ同然の上に生活費もくれる ということです.気前がよすぎると思うかもしれませんが, 日本の大学院の方が世界の常識から外れてケチなのです. (この非常に重要な情報が日本で広く知られていないのはなぜでしょうか.) そのかわり,アメリカには Teaching Assistant と呼ばれる院生の仕事があって,学部の演習などの手伝いをします. これについては下にもっと詳しく書きます.

次に多くの人が気にする入学の審査(誰が合格するのか)についてです. 日本人の場合受験に慣れているために,入学審査と言うと 客観的な点数で順位がつくとか,TOEFL などの試験の成績で決まるとか思いがちですが, アメリカの仕組みはまったくそういうものではありません. 日本のイメージでいえば就職活動に近いものです. 向こうは自分の学科を活性化するような 優秀な学生が欲しいのです.そうであることを,成績,推薦状,これまでの論文等 何でもいいですから納得させられればそれでいいのであって,細かい規則など はまったく問題ではありません.客観的な一律の基準と言うものはありません. たとえば,自分の先生と向こうのつきたい先生がお互いによく知っていれば 断然有利で,そういう意味でのコネも有効です.自分のつきたい教授が,こいつを ぜひ入れたい,と思ってくれればそれでもう大丈夫です. 絶対必要と書いてある試験(たとえば GRE)を受けなかったとか, 締切りを何ヶ月も過ぎてから申し込んだとか,TOEFL の成績が 悪いからあなたは自動的に失格ですという手紙を事務からもらったとか, そういうのでちゃんと一流大学院に合格した例はいくつも知っています. もちろん誰でも行けるわけではないので, 数学の実力を実証できる何かがほかにあった場合,ということですが. また全ての面について交渉の余地があり, 「こうして欲しい」と言ってみる価値はあります. 奨学金の額でさえ交渉次第で変化します.私は昔, UCLA と SUNY Stony Brook で双方に,「あっちはもっとくれると言っている」 と言ったところ,双方2回ずつ金額を吊り上げて来ました. (私はただ状況説明のつもりで手紙を書いたので,吊り上げてくるとは 思っていませんでしたが.)


で、よくよく履歴書を見ると、日本の大学院在学中に、UCLAに留学し、一年かからないうちに修士号を取得しています。

つまり、同時に、日米二つの大学院に在籍し、卒業していたらしいのです。

離れ業というか、こういうことができるもんなんでしょうか。

しかも、博士課程進学後、フランスに八ヵ月滞在しています。

以前読んだときは、フランスからもオファーがあったようなことが書いてあったような。

今見たら、書いてありませんが。

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数学の話

数学は、科学の女王といわれていたが、今は違う。

特に日本では。

外国では、ハーバードやオックスフォードなどの文系大学に数学科があって、知っている人がいたりする。

優秀な数学者の話は、また次回に(はなしがぐちゃぐちゃになるので)。

日本では応用数学がもてはやされていて、応用できるから、数学が価値があるというような感じらしい。

もっと基礎研究に力を入れなければ、発想が貧困化すると思う。

母校では、理学部数学科が、教養学部応用数学科にされてしまった。

昔々、理学部1号館に、下から順に、化学科、物理学科、数学科があった。

そのころ言われていた面白話を一つ。
「化学科では物理ばかりやって、物理学科では数学ばかりやって、数学科では、何がなんだかわからないことばかりやっている」。

そんな感じだったらしい。


昨夜、ヒストリーチャンネルの宇宙の歴史シリーズ「暗黒エネルギーと暗黒物質」を見た。暗黒エネルギーは、重力に逆らって、宇宙を膨張させているものらしい。

その速度は、さらに加速していて、10兆年後の宇宙は、今よりもはるかに膨張していて、人間など住めない冷えた状態になっていると、科学者が語っていた。

暗黒エネルギーや暗黒物質の研究は始まったばかりで、わからないことばかりだという。
アインシュタインは、宇宙定数というものを考えていたが、ハッブル宇宙望遠鏡の映像から宇宙が膨張していることがわかった後、宇宙定数を放棄したそうだ。しかし、昨夜の科学者は、この宇宙定数で、アインシュタインは暗黒エネルギーの存在を示していたという。

まだ研究が始まったばかりで、何もわからないのに、10兆年先までわかるのだろうか。

昨年末に立ち読みしたニュートン別冊号に、宇宙のビッグバン仮説は今は否定されていると書いてあった。
宇宙はらせん状に膨張と収縮を繰り返していると。

しかし、ヒストリーチャンネルでは、ビッグバン仮説をまだとっている。

百数十億年前に、ビッグバンという大爆発があった。それが宇宙の始まりだった。それから、膨張し始めたが、最初はまだ暗黒物質が狭い空間に集まっていたため、暗黒物質の質量による重力のほうが暗黒エネルギーよりも大きかったので、膨張速度は今よりもずっと遅かったというのがビッグバン仮説。

ビッグバンなんて、百億年単位の昔に、宇宙が始まったとしたら、今、百億光年単位の遠くの銀河を見ていることがおかしいと思うのだけれども。

今、ヒストリーチャンネルでは宇宙の歴史シリーズ全作品を再放送している。2009年世界天文年特集だそうだ。「ビッグバンから始まった」なんてタイトルもある。

科学って、いろいろな人がいろいろな説を唱えていて、けっこうばらばらだから困る。

宇宙物理学も、相対性理論も、方程式がある。

うちの夫は、偏微分方程式論が、専門。

偏微分方程式は、解けないけれども、コンピューターでシミュレーションして、いろいろな分野で応用されている。

流体力学、気象シミュレーションや、熱伝導などを計算するとき、ナビエ・ストークスの定理というもので、計算するらしい。


金融工学なども数学が使われているという。

デリバティブは、LTCM破綻まで万能のように思われていた。

昔、職場で、
「デリバティブの授業を、聴講しにいかないか?」と言われたが、私は断った。
いまさら、母校に後輩達に教えてもらいにいくなんて、かっこ悪い(出身学科だった数学科はおとりつぶしになって、教養学部応用数学科になってしまったので、ちょっと違うけれども)。解説書を読めば、大体のことは理解できるから、さらに詳しく勉強するのは面倒だった。そのとき、教科書とされた本は一応買っておいたが、原書で、基礎的なことから、こと細かく書いてある分厚い本だった。あまりにも面倒なので、ほとんど読まなかった。

私に聴講生の話が来たのはその一回だけだった。非常に珍しいことであったから、聴講しておけばよかったかもしれない。でも私の職場は、何かを勉強してもキャリアアップにはつながらないところだ。何かに役立つとしても、せいぜい、その分野の審査をさせる程度のことだろう。審査なんて、ある資格をもらえるからいいかも、と思って、入ったけれども、審査のほうには結局いかせてもらえなかった。審査のほうが、給料もよく、ある「士」がつく資格をもらえて、左団扇だと聞いたから、そこに入ったのだけれども、よくよく聞くと、つまらない仕事らしかった。ま、数学専攻だから、聴講させて、デリバティブがわかる人間を作っておこうということだったのだろうけど。


金融工学は、デリバティブと、証券化に大きく分かれている。
証券化なんて、難しそうに言うが、不動産証券化から始まったものだし、不動産証券化は、結局のところ、しっかりローンを取り立てるとか、競売で安く法的処分する程度のことだし、サービサーなんて、結局借金取り立てだし。。。
それを統計的に処理するだけで、たいしたことはしていないと思う。
デリバティブは、ちょっと難しく思えるが、数字を出すときに、確率や予測を使っているが、そのとき、確率に関する伊藤のレンマ(補助定理)を使うらしい。


確率の計算では、階段状の関数を計算するわけだが、積分の定義の時、極限操作をしているため、なめらかな関数であることが前提条件。
なめらかではない階段関数を積分するために、ルベーグ積分というものが考え出された。
積分の定義は、階段関数を細かくしていったのだから、階段関数のほうが面積を計算しやすいわけ。
で、私は、必修のうち最後まで残ってしまったのが、このルベーグ積分だったので、嫌い。

そもそも、私は、腕力をごりごり使う解析系統が嫌い。
確率の計算も、いいかげんなので嫌い。
それを使った金融工学は結局嫌い。
シミュレーションも計算が大変なので嫌い。

金融工学なんて、テキトーなことやってるなと思う。

クレジット・デリバティブというのが出てきたころから、もう興味を失っていたので、よく知らなかったのだけれども、結局倒産確率を計算し、CDSの価格を計算するものだったようだ。
CDSなんて、結局倒産保険だそうだ。景気のいいときに、社債のリスクをカバーするために設定し、売りつけておく。景気が悪くなって、倒産したら、社債を担保するために、CDSで、倒産時の損失を埋め合わせるなんて、ずるいと思う。


現代数学は、代数学、解析学、幾何学に大きく分けられている。

いろいろな方程式を計算するとき、0÷3=無限大というような特異点があるわけで、その特異点の扱い方によって、位相幾何学というのがある(解析学で特異点を扱うときは、また別の扱い方なのだが)。

私は、エキゾチック球面というのが面白そうだと思って、知りたかったが、そこまで到達しなかった。エキゾチック球面というのは、「7次元球面には29の異なる位相が存在する」というもの。
位相幾何学というと、メビウスの帯や、クラインの壷が例にあげられるが、いざ勉強するとなると、非常に難しいらしい。
5次元以上なんて、イメージできるわけない。

しかし、宇宙の歴史を見ていたら、宇宙は5次元かもしれないというようなことを言っていた。

空間に時間軸を入れて、4次元というのが、アインシュタインの相対性理論だった。
その特異点として、ブラックホールが考えられて、それは実際にあると確認されている。ホワイトホールというものも、計算上あるとされているらしいが、まだ確認されていない。



私が生きている間に、宇宙物理学は本当の答えを見つけられるのだろうか。

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私が専攻を決めた理由

大学受験の時、母は、医学部をすすめた。

職場でさんざんん苦労したとき、母のいうことを聞いておけばよかったと思った。

しかし、医者というのは、人の面倒を見なければならないから、やっぱり好きではない。

人の面倒を見るのが好きな人じゃないと、つとまらないと思う。

医は算術というけれども、それもちょっとね。。。

友人で精神科の医者になった人がいたが、卒業後かなりたってからばったりあった。
「患者の悩みがのりうつってきてしまって、つらくてしょうがないので、医者は週2回だけにして、ドイツ語の勉強をするため、大学に戻って通っている」
という。

それもちょっとね。。

入学時、医学部進学コースではなかったけれども、教養課程で、こつこつ勉強していい点数を取り、医学部進学枠の20名にはいって、医学部に進学した女性がいた。

そう書くとどこの大学かわかってしまうと思うが。。。

彼女は、今、とある大学の精神科の医学部教授。

細くて、かよわそうな彼女が、医学部教授とは、とびっくりした。

私は、昔読んだSFのような童話で、宇宙旅行をするときの面白いたとえ話が気に入った。

スカートの両端をつまんで、ここからここへ行くときに、とことこ進む方法もあるけれども、スカート自体をくっつけるという方法もある、みたいなことが書いてあった。

今の最先端の宇宙物理学では、そういうこともありそう。

中学の時、友達に誘われ、オーケストラ部をやめて、理科部に入った、そこでは、なんと、周期律表を覚えるように言われた。先輩がアインシュタインの相対性理論を講義していた。

ブルーバックスやいろいろな本を読んで、勉強した。
そのおかげで、高校に行ってから、化学の内容は、かなり知っていたので、楽勝だった。

高校は受験校だったので、
「今回の試験は、満足できる結果だった(なんかこんな様なことを言っていた、もっと違う言い方だったような気がするけど

ど)。みんなできなかった」
なんていうような先生がいたが、そのとき、最高点を取ってしまったのが私で、名前を読み上げられてちょっと気まずい思いをした。

中学の時、いろいろな物質を混ぜると、花火になるので、花火を作って遊んでいた。

しかし、爆発事故を起こしたのは私ではない。

2年生になると、反抗期になり、大量に宿題を出す先生がいたが、そんな面倒なことはできないと、出さなかった。
先生は、1をつけるぞと、脅し、私もつけてくださいといったが、1はつかないかった。
母が、先生に話しに言ってくれたせいかも。

高校では、現代国語や古文、リーダーの成績よかったが、地理と日本史がだめだった。

日本史は、プリントをたくさん配って、次の時間、一人ずつたたせて、プリントの内容を質問紙、答えられないと立たせたままにする嫌な先生だった。
プリントの内容は、異常に詳しく、項目を箇条書きにしているだけだったので、読む気にもなれなかった。
もっと物語のような授業だったら興味が持てたのに。

当時は高度成長期だったので、できるものなら就職にも有利な理科系に進学するというのが、定説だった。

物理や化学の成績はよかったし、数学もそこそこ取れたので、理科系に進んだ。

そして、ま、キュリー夫人みたいに、理論物理学者になりたいと思ったわけだけれども。

大学に進んでから、物理学科の難しさ、相当優秀な人じゃないと、理論物理学にはいけないことを知った。

みんながそう思って入学して、挫折することも。。。

進学振り分けの最低点数も物理学科は相当高かった。

もし物理学科に進学できても、実験なんて嫌いだから、物理学科はあきらめることにした。

それで、浪人中最も成績がよくて、教養でも一番得意だった数学に決めた。

他にも理由がある。
数学は、最先端の研究を追いかける必要がない。
科学は、日々新しくなっていて、昔の内容は陳腐化してしまう。

数学は、ギリシャの時代からあるユークリッド幾何学もいまだに正しい。

数学のほうが、楽。
16世紀のガウスも、いまだに正しい。

欧米では、数学は文科系で、紙と鉛筆だけあればOK。

ま、そういうわけだけれども、大学院に残るかどうか、という段階になって、女性は、ポストをもらえないという話を聞いた。
また、私は、いろいろなことに興味を持つ何でも屋なので、
「一生数学だけやるのもねえ、なんだし」
というわけで、就職することにした。
友人が、公務員試験を受けるというので、じゃ、私も、と、受験したらすれすれで合格。
採用してくれたところは、言っちゃ悪いけど、三流。

しかも、法学部だけがエリートコースで、それ以外は多くの場合、どうでもいいという状態。

しかし、大卒女性の就職先など、教授のコネくらいだった時代なので、日本国内では、転職など無理だから、ずるずると勤め続けた。

というわけで、今に至っているわけ。

こんなんで一生終わるのも、ちょっとつまらない。
もう一花咲かせたい。

小説かシナリオでヒットを飛ばしたいと思っているのだけれども。。。

小説は、10万部売れれば、ヒット。
100万部売れれば大ヒット。
しかし、シナリオは、視聴率20%くらいいかないといけない。

視聴率20%というと、100万部のヒットよりも、もっと多くの人に支持されなければならない。
スポンサーにも気に入られなければならないし、いろいろの制約条件がある。

そもそも採用してもらえない。

小説のほうが楽かも。
でも、今は、出版不況だから、映画やドラマのほうが人気ありそう。

しかし、今期の日本のドラマは、あまり視聴率よくなかったらしい。

なんかいい話ないだろうか。

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J-COMのHDRプラス届きました

昨日、J-COMのHDRプラスが届き、設置してもらいました。

番組情報画面は、DVDレコーダーに似ていて、ちょっと見づらくなりました。

2番組録画できるといっても、まったく同じように録画できるわけではなく、裏番組は、DRモードというダビングが不便なモードになってしまいます。

これで録画すると、高速ダビングができないので、困ります。

J-COMの人が来る前に、それまでの古いHDRのハードディスクに残っている番組を、見たり、ビデオにダビングしました。
時間が足りなくて、めぼしいものを全部見ることはできませんでしたが。

帝国の朝は、録画だけしておいて、見てないものがあるので、78、79話あたりを少し見たら、平州の豪族の謀反という事件があり、それを処罰すべきだという意見を無視して、ヒョウン太子などを許していたことがわかりました。

平州は、ラスト89話あたりで、光宗暗殺計画を実行するのですが、78話あたりでもそういう事件があったらしいです。

DVDにも録画してあればいいのですが。

「空中の棺」というドキュメンタリーは、ボー人という明の時代に、滅ぼされた民族の遺跡でした。
4万人のボー人が、明に攻められて、虐殺されたそうです。
すべて死に絶えたと思われていたのですが、生き残りがいたそうです。

どうやって、そこまで上ったかわからないほどの、断崖絶壁の上のほうに、木をくりぬいた棺に埋葬してあるそうです。

ボー人は、絶滅したといわれていましたが、2箇所に末裔がいるそうで、遺骨から復元した顔と、その末裔の男性の顔がそっくりでした。

かえるになった王子様の3話と4話を、字幕があるので、4倍速で再生して録画しながら見ました。

事故で記憶喪失になった御曹司が、かえるになった王子様というわけ。

「中国、白人ミイラの秘密」は、おもしろかったです。

楼蘭の美女というミイラがありましたが、あれは、紀元前1800年。それよりも古い白人ミイラがタリム盆地から出土したそうです。

馬もあったそうで、黒海周辺、インド洋、ヨーロッパなどの文明の痕跡がありました。
青銅の剣があり、羊毛の織物の衣服をつけていたそうです。

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テ・ジョヨン35回目

ソリンギ「皆聞け。夜が明け次第、あの安市城を攻撃するぞ。そして、その先鋒をヨン将軍に任せる」
「断る」
「命令に背く気か?」
「命令される筋合いはない」
「何?」
「これ以上将軍が負け続けるのを座視できん。能力がないなら、指揮権を私に任せられよ」
「何?」
刀を取るソリンギ。
「貴様、指揮権だと? 何…指揮権だあ? ナムセン、おのれ、ナムセンめ。よくも指揮権を渡せなどと…戦で手柄を立てたからと図に乗りやがって。またそんなことを抜かしたら、その頭が首と離れることになるぞ」
「そなたが本当に勇猛な武将なら、部下の命を重んじるだろうが、功名心に浮かれた小者なら、火にいる夏の虫のごとく、安市城を攻撃するだろう」
「何? 夏の虫? 貴様(剣を振りかぶる)」
「やめなさい、いい加減に剣を収めなさい」
「どかれよ、こいつをこの手で殺す」
「我慢して下さい、仲間割れはいけません、将軍、外に兵士たちがいます。こんな姿は見せますな」
「あー、まったく」


シン・ホンとイ・ヘゴが出てくる。
シン・ホン「ここで、安市城攻撃を望むのはbソル将軍だけです。ソル将軍を説得して下さい」
イ・ヘゴ「私は命令を受ける身だ。主の志は変えられない」
「私の主人と契丹の立場は似たようなものです。安市城にてこずれば、我が主は高句麗の統治権を得られません。契丹も同じです。戦で手柄を立てねばヨンジュを得られないでしょう」
「だが、何の名分で将軍に撤退を求める?」
「名分は作ればいいのです」
「方法はあるのか?」
シン・ホンがイ・ヘゴの耳にこそこそ話。


ソリンギ「ナムセンめ、お偉くなりやがって、私の指揮権を狙うとは」
ポンペ「とにかく大変です。大ソウ管も大敗し、明日の総攻撃まで失敗したら…この戦も失敗しそうで恐ろしいです」
「おい、こら、縁起でもないぞ」
イ・ヘゴ「(入ってきて挨拶する)将軍、お話があります」
「話すがよい」
「明朝の安市城攻撃を中断なされば」
「何だと? お前もナムセンの味方か?」
「私は、あの安市城に、我が誇りのすべてをかけた。そなたもこの気持ちが分かるはずだ」
「安市城は容易には落とせません。間違えば、誇りのための戦で、将軍のすべてを失い得ます」
「すべてを失っても仕方ない。私は誇りまでは、捨てられん」
「将軍、名分と実利を共に得られる方法があります。誇りも得られ、功も立てられる方法ですぞ」
「誇りも得られ、功まで立てられる?」
「まずは、最小限の兵力を残し、撤退なさいませ」
ポンペ「何を申すか、奴らを残して、撤退なんて」
「安市城は、後から陥落させても遅くはありません。今、劔山城では、大ソウ管の軍が苦戦を強いられています。我らが敵の背後を討てば、一気に城を陥落できます」
「そう…その通り。まさにそれだ。続けろ」



安市城で、敵陣を見つめるテ・ジョヨンに、フクスドルとコルサビウが近付く。
フクスドル「この野郎、コルサビウ、お前のせいだ。止めなかったら、ナムセンを殺せたのに」
コルサビウ「助かっただけ、幸いと思え。軍律通りなら、とっくに首が飛んだぞ」
「まあ、それは感謝する。一度は死ぬ身だった。粉々になろうとも唐の奴らと戦うぞ」
テ・ジョヨン「(敵陣の方角から振り向いて)何かが変だ」
「何が? 何が変なのだ?」
「数日前から動きがない。兵士たちの位地が同じだ」
「俺が見てくる。フクスドル行くぞ」
「おい、待てよ」


フクスドルとコルサビウが兵を従えて、馬で進み、ある場所で止まる。
コルサビウ「行くぞ」
戻っていく。


安市城会議。
「将軍、間違いありません。チュビル山の敵陣はがら空きです」
テ・ジュンサン「遠目から見える兵士は?」
フクスドル「あいつら案山子を立てて、兵士に偽装させていました」
「何、案山子?」
「高麗城を出る時に、我らが使った方法です」
コ・サグ「では、奴らはどこへ行ったのだ?」
「当然、唐の本軍と合流したはず」
コム・モジャム「ですが、腑に落ちません。ただの撤退なら我らを騙す必要はないはず」「まさか…奴らは…」
「どうした?」
「今、中部戦線では敵と接戦中です。奴らが密かに南下し、奇襲をかけたら…」
「劔山城…チ将軍が危ない」


チ将軍たち。
「イジョクの軍が動く気配はありません」
「腰を抜かしたのでしょう、ここまで応戦するとは予想外のはず」
チ・ミョンチョン「奴らを防げなければ、平壌城が危険だ。このまま一人も南下させてはならん」
オン・サムン「もちろんですとも」
そこへ、火矢が飛んでくる。
次々に倒れる高句麗兵。
「奇襲だ、唐軍が奇襲を始めたぞ」
チ将軍「持ち場を守れ、敵は先鋒隊に過ぎん。落ち着いて応戦せよ」
「将軍、ご覧下さい」
「どうして、南門から火の手が…」
「そんな…、敵が南門へ移動したとは聞いておりません」
「将軍、将軍、南門が突破されました」
「何だと? 南門が突破された? 奴らはどこから来たのだ? ここはお二人に任せる。南門から来た唐軍は私が防ぎに行く。さあ私に続け」
「はい」
逃げ惑う民。
南門付近。
侵入したソリンギ、イ・ヘゴ達の軍と、チ将軍が対峙する。
ポンペ「(剣を構えて)何者だ?」
チ将軍「高句麗の模達であり、都城守備隊の総司令チ・ミョンチョンだ」
ソリンギ「チ・ミョンチョン? お前がチ・ミョンチョンか
チ将軍「問答無用。奴らを殺せ」
ソリンギ「討て」
両方の軍が入り交じって、戦う。
チ将軍に跳び蹴りし、追い詰めて、傷を負わせ、首に刀を突きつけるソリンギ。
チ将軍「貴様ら…この蛮族め」
ソリンギ「先に逝って、高句麗の滅ぶ姿をしかと見るがよい。ポンペよ」
ポンペ「はい(後ろからチ将軍に斬りつける)」
チ将軍「(背中に深手を負って倒れながら)我が高句麗を…、高句麗を…」
ほっとしてため息をつくソリンギ。しかし、急に焦ってぴょんぴょん跳び始める。
ソリンギの足に火が付いていて、足をこすり合わせて、消そうとするソリンギ。


テ将軍が部屋の中にいる。
声「父上、私です」
テ将軍「お入り」
テ・ジョヨンが入って、一礼する。
「出発の準備はできたか?
「はい」
「劔山城が落ちたら、中部戦線は崩壊したも同然。平壌城を死守することが、高句麗を守る唯一の道だ」
「ですが、遼東はがら空きになります」
「私とトルバルが残る。コ将軍の補佐を頼む。そして、自分の任務を果たすのだ」
「肝に銘じます」
一礼をして、テ・ジョヨンは出て行く。

ソリンギの会議。
「まさか、ソル将軍が来るとはな」
「申し訳ありません。敵を騙すには、機密保持が大事だったので…」
「ところで安市城は諦めたのか?」
「何度言えば分かる? この作戦のために涙をのんで撤退したのだ」
「結局、今回も安市城を落とせなかったのだな」
「違う、落とさなかったのだ。劔山城を落とすために…」
「もう、いい加減にせい、とにかく、平壌城への道が開けた。そなたらの功は忘れぬぞ」「私は何もしていません。すべての知略は、イ・ヘゴ副将の頭から出ました」
「イ・ヘゴ?」
イ・ヘゴ「とんでもない」
「この戦で諸君は大いに戦力になった」
イ・ソンチュン(契丹部族長)「高句麗が滅んだ時、我らをお忘れなきよう」
「もちろんだ。決して忘れるものか」
「ありがとうございます」
チョリンも嬉しそう。
「ところで、ヨン将軍はなぜ何も言わぬ?」
ヨン・ナムセン「雑談する心境になれません。平壌城が目前なのですぞ」
ソリンギの忌々しそうな顔。


平壌城の宮殿。
「どういうことだ、劔山城が陥落した? チ将軍が戦死しただと?」
「陛下。我らは皇命を全うできませんでした」
「処刑して下さい。どうか、処刑を」
ポジャン王「中部戦線が崩壊した。今後はどうなる? 誰かが唐を防ぐべきだろう?」
ヨン・ナムゴン「陛下、今は城外に出兵できません」
ケジン「さようです。漢城以南にいる新羅軍がいつ襲うか分かりません」
チャン・サネ「しかも、軍需品や食糧も不足しています。おいそれと出兵できません」
「何ともどかしい。唐が来るのに座視するしかないのか?」
サブク「(入ってくる)陛下、陛下、申し上げます。今、遼東から援軍が着きました」
「援軍? 統領が援軍を送ったのか?」
「はい、陛下」
ブ・ギウォンの変な顔。

コ将軍を先頭にして、テ・ジョヨン、フクスドルらが平壌城の中を歩いて宮殿に入る。

コ将軍「陛下、コ・サグ以下諸将がご挨拶申し上げます」
「ご挨拶申し上げます」
ポジャン王「よく来た。今、平壌城は危機に瀕しておる」
「それを聞いて、飛んで参りました」
「ありがたい。皆の忠誠心に感謝するぞ」
「恐れ多うございます」
「じきに唐の大軍が来るだろう。国運をかけた大戦が始まるのだ。他に方法はない。何としてでもこの平壌城を守り抜くのだ。よいな?」
「はい、陛下」
テ・ジョヨンの顔と、ブ・ギウォンの顔。

ナムゴン「知っての通り、今の平壌城は最悪の状況だ。軍需品も兵士も何一つ満足なものはない」
「遼東の状況も同じです。新城や扶余城など、遼東の半分は唐の手中に落ちました」
「新羅も問題です。唐と連合して百済を攻めた時は、5万の軍を送りました。ですが、この戦には何と20万の大軍を送りました」
「一つ幸いなのは、平壌の軍と民の意思が固いという事です」
「それだけでも大したものだ。結局は民と共に守らねばならん。今日から死力を尽くして万全に期すのだ」
「はい、大莫離支」
「ジョヨン、そなたは残れ。さるお方がお呼びだ」

ポジャン王とスギョン姫、ナムゴン。
テ・ジョヨンが着席する。
ポジャン王「急ぎ調べたい事があってな。烏骨城の一件だ」
「お前は、最後まで大将軍を守った。暗殺についてお前の考えを聞きたい」
「誰が犯人だと思う? お前の思う犯人は誰だ?」
「私には分かりません」
「分からぬ?」
「推測だけでは申し上げられません」
「お前の考えを聞いておるのだ」
「敢えて申し上げるなら、犯人は唐の奴らです。倒した者が誰であれ、ヤン将軍が憎んだのは、この国を脅かす唐だったからです」
「そなたが言わずとも、陛下にも心当たりがある」
「申し訳ありませんが、今は心を合わせる事をお考え下さい。心を合わせ、国を守れるなら、炎までも抱き込むべきです」
「そのとおりだ。今こそ、文武臣下と民が力を合わせる時だ」
「はい、陛下」
「久しぶりに、心強く思った。その忠心を変えるでないぞ」
「皇恩の極みにございます」
声「陛下、コム将軍です」
「通せ」
コム将軍「陛下、急報です。イジョクの大軍が来ました」


蛇水。
唐の陣営。
イジョク「我らがここに着く前に、遼東城城主のコ・サグの援軍が着いた」
「一足遅れました。先に来て、平壌城を孤立させるべきが…」
「しかし、心配は無用でしょう」
「なぜだ?」
「報告によると、軍需品はなく、兵だけが着きました」
「そうだろう、遼東も苦しい状況だ」
「平壌の最大の問題は、干ばつで食糧が不足している事です。いくら援軍が多くても、食糧不足ならむしろ邪魔です」
ソリンギ「それは、可汗の言うとおりだ。待つ事はありません。今すぐ攻撃命令を。大ソウ管」
ナムセン「いいや、いくら優勢でも平壌城を甘く見てはならん。敵勢を詳しく調べた後で、攻撃しても遅くはない」
イジョク「ヨン将軍の言うとおりだ」
ソリンギ、咳払い。
「軍馬を休ませ、戦列を整えろ。敵の状況を把握したら、総攻撃に移る」
「はい、大ソウ管」
ソリンギとナムセンにらみ合う。


チョリンが剣の手入れをしているところに、イ・ヘゴ。
「チョリン、無理しすぎじゃないのか?」
「今度が最後だから。必ず高句麗を滅ぼして、ヨンジュを得る」
「もうすぐだ。我らの流した血と汗が実を結ぶだろう」
「兄上、契丹がヨンジュを得たら、私は部族を去るだろう」
「どういう事だ? 馬鹿を言うな。お前は部族を導く可汗になる身だ」
「部族のためなら、私より兄上が適役だ」
「チョリン」


鎧姿のコ・サグ将軍達。
「城郭の規模や堅固さでは、安市城や遼東城に引けを取らん」
テ・ジョヨン「この平壌城は、一度も陥落していない難攻不落の城です。皇宮のあるところだ。このくらいでないと」
コム将軍「(馬に乗って近付く)将軍、将軍、将軍、すぐ皇宮へ行って下さい」
「何事だ?」
「敵陣に使者を送るそうです」
「使者だと?」
「会談を行うつもりです」
「何と、愚かな。まだ奴らを知らんのか?」



ポジャン王の会議。
王「前にも遼東に使者を送った事があった」
ブ・ギウォン「彼らの行方は誰も知りません。きっと敵陣に着けなかったか、事情があったはず」
ナムゴン「一体、奴らと何の会談を?」
「ご存じでしょう。国を救う平和会談です」
コ・サグ「話にならん、奴らは高句麗を滅ぼすために、来たのだ」
「陛下、今の高句麗の兵力では、唐の大軍を防ぎきれません」
「では、使者を送れば、敵は退くのか?」
「少なくとも無謀な戦から民を救えるでしょう」
王「誰が行くのだ?」
ソンギョム「陛下、西部辱薩のソンギョムが参ります」
「ソンギョムが?」
「陛下、戦時中に敵陣へ行くとは、大した勇気です。我らの忠誠心をお察し下さい」
「できるのか?」
「国を救う事です。身命を尽くします」



ブ・ギウォン一行の前に立ちふさがるテ・ジョヨン達。
ブ・ギウォン「皇命を遂行中だ。城門を開けろ。聞こえないのか、早く城門を開けろ」
テ・ジョヨン「(剣をおろして)城門を開けろ。心を開くなら、まず相手をよく知るべきです。大臣は相手を間違えました。友になるには、奴らによる被害が多きすぎます」
「この世は、力と勇気だけで回るのではない。お前のような青二才が世の理を知る由もない。よく見ておれ。お前たちは、敵と戦う事はできても、敵の心を掴む事はできん。それが年齢と経験の差だ。しかと見て学ぶがよい。行きましょう」


唐の陣営。
イジョク「ブ大臣と約束したのか?」
ソリンギ「約束ですと? 何の約束です?」
「この手紙に両国の和睦に関する条項がある。そなたらが密約を交わしたとあるが」
「それは初耳です」
「何をおっしゃる。そちらの要求にすべて従ったのだ。唐と高句麗の平和のためにな」
「帰って伝えよ。両国間の戦をなくすには、どちらかが滅ぶべきだ。高句麗を滅ぼそうとするのも、天の下で平和をなすためだ」
ソリンギ「大ソウ管、伝える必要もありません。あの者の首を斬って、平壌城へ投げ入れて来い。それで十分答えになるだろう」
ソンギョム「貴様ら、禽獣でも守るべき道理がある、天を恐れぬか」
「うるさい、者どもさっさと首を斬れ」
「はい、将軍」
兵士らが、ソンギョムを捕まえる。
「放せ、死んでも貴様らを許さんぞ。邪悪な蛮族どもめ」
「何をしておる。早くせい」
「貴様ら、放せ、放せ」
ナムセンの顔。
「皆、よく聞け」
「はい、将軍」
「あの者の首が宣戦布告となるだろう。平壌城を総攻撃する。戦闘準備を」
「はい、大ソウ管」
にやりとするソリンギ。


コ・サグ将軍達が平壌城から眺めている。
城壁に、騎馬兵が近付く。
コム将軍「何者だ?」
イ・ヘゴの顔。
「何者かと聞いておる」
イ・ヘゴ「我が唐から、高句麗への贈り物だ」
黒い包みを補折り投げるモゲ。
「こちらに来た高句麗の使者の首だ。和睦に対する我が唐の答えはこれだ、持って行き高句麗王にはっきり伝えよ、この者の運命のように、高句麗の国運もあとわずかだと」
高句麗陣営、びっくり。
イ・ヘゴ「行くぞ」
フクスドル「あの野郎、待たんかい」
テ・ジョヨン「首を持ってこい」


テ・ジョヨンは、首を持ってポジャン王の御前会議へ。
「陛下、ソンギョム大臣の首です」
「一体…どういうことだ。何か話せ。ブ大臣。一度ならずも、なぜソンギョムまで死なせた?」
ブ「陛下」
「これが、ブ大臣の言う外交術か? これが和睦なのか? 何とか言うがよい、ブ大臣」「陛下、すべては、愚かな私のせいです。処刑して下さい」
一同「どうか、処刑を、陛下」
「実に悔しくも恥ずかしい。あの蛮族どもが朕をどう思い、我が高句麗をあざ笑っただろうか」
「陛下、今死んでも文句はございません。しかし、奸悪な唐軍と戦う機会を下さい。国のためなら、何でもいたします」
ケジン「さようです。今から、全五部家の臣下は、家の穀物倉庫を開放します」
ブ「家財だけでなく、武器を持てる家来も皆戦線へ送ります。お収めくださいませ」
一同「お収めくださいませ」
声「(遠くから駆けつけながら)陛下、陛下、唐軍が押し寄せて来ます。総攻撃が始まりました、陛下」
王、テ・ジョヨンびっくり。
ケジン「何…総攻撃…」

唐の大軍の中に、イヘゴ、チョリン、モゲ、ソリンギ、契丹部族長が先頭に馬に乗っている。

ナムゴンも加わって、高句麗武将全員が、鎧兜姿で、城から見下ろしている。

コ・サグ「一見しても数十万の大軍です」
「唐の全軍が総動員されました」
ナムゴン「平壌城を一気に攻めるつもりだ。城門を突破されてはならん、持ち場を守り、敵を一人も近づけるでないぞ。よいな?」
一同「はい、大莫離支」
フクスドル「あそこをご覧下さい」


数人の騎馬兵が前に出る。
「平壌の武将は聞け。今までお前達は、恐れ多くも天孫を自称し、傲岸不遜な行いをしてきた。これに対し、我が皇帝陛下は、高句麗を滅ぼし、天下の秩序を正せと命じられた。城門を開けて降伏する者は生かすが、抵抗する者は死を免れんぞ」


ナムゴン「唐の蛮族どもはよく聞け。高句麗は天孫として、そなたらに慈悲を施した。だが、国を蹂躙し、使者を殺した極悪非道な唐に、これ以上の慈悲は無用だ。者ども、奴らを殺せ」
テ・ジョヨン達が火矢を放つ。
唐兵が火矢を受けて倒れる。
「退却だ、皆、退け」
ソリンギ「将軍」
イジョク「偉大なる唐の武将よ、総攻撃せよ」
ソリンギ「総攻撃だ」
イ・ヘゴ「イヤー」
イ・ヘゴやチョリンも剣を抜く。

コ・サゲ「持ち場を死守しろ」
「はい、将軍」

太鼓が鳴らされ、城壁から矢が放たれる。
唐兵がばたばたと倒れる。
ナムゴン「高句麗の先史よ、ひるまず戦え」
唐軍は大きな機械で、火の玉を投げ入れる。
はしごをかけて、城壁をよじ登る唐兵。
火矢が飛び交う。
ソン・マニョン「皆、攻めるのだ」
唐の猛攻撃に防戦する高句麗。
ナムゴン「城門を死守せよ。決して破られるな」
「攻撃せよ、どんどん登れ」
チョリン「攻撃せよ」
猛烈な戦闘シーンの中、城壁のテ・ジョヨンを見つけて、立ちすくむチョリン。
テ・ジョヨンもチョリンに気づく。
目が合う二人。
しかし、再び戦い始めるテ・ジョヨン。
それをみて、チョリンも号令をかける。
チョリン「平壌城を攻め落とせ」
イ・ヘゴが、次々に高句麗兵をなぎ倒す。
ソリンギ「衝車は何をしている。城門を破れ」
城門に、大きな衝車をぶつけて、攻撃する唐軍。
契丹部族長「攻撃せよ」
コ・サゲ「蛮族どもを皆殺せ」
衝車に、城壁から油をまいて、火矢を放つフクスドル。
火だるまになって、落ちる唐兵。
城壁にたてかけられたはしごを押し倒す高句麗兵。
モゲ「契丹戦士の闘志を示せ」
ソリンギ「おのれ、者ども、城壁を登れ(はしごを登り始める)」
ポンペ「攻撃せよ」
城壁にたてかけたはしごの一番上で、火の付いた刀で戦っているソリンギ。
それを見たテ・ジョヨンが矢を射る。
矢に気付き、防いだ手に矢を受け、下に落ちるソリンギ。
ポンペが駆け寄る。
「将軍」
「くそっ」
「大丈夫ですか?」
「何のこれしき…(矢を抜き、捨てる)あー、何をしておる、登るのだ、攻撃せよ」
イジョク、驚いている。
「(イジョクに駆け寄る)将軍、兵の損失が甚大です。退却命令を」
「奴らめ…」
「時間がありません、全滅しますぞ、将軍」
「おのれ、高句麗め…」


林の中をかける高句麗の旗を持つ騎馬兵達。
テ・ジュンサン将軍がうろうろしている。
声のみ「兄上」
「平壌城はどうなった?」
「大勝です。連日の戦で、唐は連敗しています」
「兵士だけでなく、民や臣下たちまで共に戦っています」
「信じられん、高句麗が昔の強かった頃の姿に戻った」


唐・長安城。
「何とか言ってみよ。高句麗は枯れ木も同然だ。なのになぜ平壌城を落とせないのだ?」則天武后「陛下、お体に障ります」
李治(唐の皇帝)「話にならんではないか。軍も食料も、何一つ劣る物はないのに、何が問題なのだ?」
イメン「言いにくいのですが、高句麗の臣下全員が、全財産を軍需品として出したのです」
ウィスン「のみならず、兵も馬も一丸となって、戦場に出ています」
「うーむ、何としぶとい奴らだ。一体どこから、そんな力が?」
則天武后「陛下、高句麗は起死回生を繰り返してきました。平壌攻撃に手間取っては、予期せぬ状況に陥る恐れがあります」
「そうだ、高句麗には油断してはならん」
「息の根を止める方法があります」
「早く申せ、皇后」
「新羅を使うのです」
「新羅、新羅を?」
「新羅は、同盟国の役目を果たしていません。高句麗南部の攻撃も振りだけでした。それに大角キム・ユシンは健康を理由に帰国しました。高句麗攻撃に参戦するよう圧力をかけるのです」
「良い案だ、どうして我らだけが血を流せよう」
「さようです。すぐに新羅に使者を。新羅が加わるなら、平壌城以上の強固な城でも崩れるでしょう」
「新羅、新羅か…」



唐の陣営。
「すべてソル将軍のせいだ」
「何? 私のせいだと?」
「そなたが使者を殺したせいで、敵の士気が上がった」
「こら、たかが使者一人で」
イジョク「ソル将軍の言うとおりだ。その事で、平壌城の臣下が団結してしまった」
「皆で殺そうと同意しておいて…言ったではないか、使者を殺して、敵の士気を挫こうと」
「私は言ってない」
「何を言う、この耳ではっきり聞いたぞ」
ポンペ「申し訳ありません、私が言いました」
「何…ポンペ、お前、ポンペ、貴様…私の大失敗だ。私のせいだから、何とか突破口を開きましょう」
イジョク「ところで、ヨン将軍は部屋に籠もりきりか?」
部族長「平壌城攻撃に乗り気でないようです」
ソリンギ「将軍、いつまでヨン将軍を庇うのです?」
「この戦の一等功臣だ、放っておけ」


ヨン・ナムセンの部屋。
シン・ホン「だんな様への視線が思わしくありません」
ナムセン、何杯も酒を飲んでいる。
シン・ホン「あとは、平壌城だけです。もうすぐ望む物が手に入ります」
ナムセン「(フンという顔)ここに来てから、毎夜のように父上が現れる。いっそお叱りなら、耐えられる。しかし、父上は私にすがって、泣かれるのだ。父上が涙なさるのだ。死の前でも動じなかった父上が…私にすがって、子供のように大声で泣くのだ(酒をあおる)放って置いてくれ。いっそ平壌が早く落ちて、この身も朽ちてしまいたい(ため息をつき、酒をあおる)」


平壌城。
騎馬兵が走る。
戦いの跡が残る戦場。
テ・ジョヨンが、唐の旗を蹴落とす。戦いの終わった戦場を歩く。
コ・サグ達。
テ・ジョヨンの声「将軍(テ・ジョヨン達がかけつける)今の伝令は何です?」
コム「漢城からの急報だ。新羅が動いた。20万の大軍が漢城とその周辺を攻め始めた。平壌に着くのも時間の問題だ」
唖然とするテ・ジョヨン。

西暦668年新羅の文武王は、20万の大軍で高句麗を攻撃し始めた。新羅は高句麗の副首都漢城を落とし、破竹の勢いで、黄海道一帯を攻めた。そして、ついに新羅は、平壌城へ至り、唐の大軍と合流した。

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千秋太后の登場人物

「千秋太后」は、人間関係が複雑。
「帝国の朝」で、最初のあたりに、宮中で大勢の女性を集めて、言い聞かせていたシーンは、おそらく太祖王建の29人の妃に、太祖王建の母が、お説教していたのだと思う。

29人のお妃から、大勢の王子や王女が生まれていたが、光宗が、かなり殺戮したらしい。

数百の豪族と家臣の首が落ちたそうだから。

千秋太后の実家である黄州の一族は、千秋太后の3兄弟(ファンボ・ソル、後に千秋太后となるファンボ・ス、後の成宗となる黄州院君)を残して、その両輪や叔父など、すべて殺された。
そのため、祖母に育てられていた3兄弟。

千秋太后が嫁いだ景宗も、母が殺されたらしい。

昨夜は、景宗が病死し、その後を継ぐのは、千秋太后の兄、黄州院君。
黄州院君は、ファンボ・スとその子供、つまりまだ赤ん坊の太子を殺せと、言われるが、そんなことはできないと答える。

恐ろしい。
王と妃とは、また別の恐ろしさ。

KBSWORLDの、登場人物を引用する。

みどころ
    日本初放送!
*巨大な高句麗の苦土を回復しようと大高麗の理想を抱き外勢の侵略に立ち向かう女傑、千秋太后の理想と夢、そして波乱万丈の人生を描く大河ドラマ!
*鎧を着た千秋太后の人間的一面と英雄としての姿を再照明し、華麗なアクションと戦闘シーン、そして登場人物の強烈なキャラクターが際立つ今年最高の期待作!
*韓国で初回放送19.8%、2話23.1%の高視聴率を記録し、早々と人気ドラマの座に君臨!
あらすじ
    渤海を滅亡させ勢いづいていた契丹勢力は、宋との大戦を前に背後をなくすために高麗を滅ぼそうとした。当時高麗は、契丹族を軽視し宋と親交を結んでいた。
80万の大軍を引き連れてきた契丹は降伏か、あるいは昔の高句麗の土地を与えてくれるよう要求した。
これにより土地を与えようとする成宗と決死抗戦を叫ぶ千秋太后は政治的葛藤に悩む。千秋太后は「北側では兵士たちが血を流して戦っているのに殿下は土地を与えて逃げるつもりか」と青筋を立てた。
一方「我が国で民が血を流すことは許されない。国よりも我が民1人の血がもっと大切だ」という成宗。高麗への各々の理想を胸に秘めながら、政治的見解が違う成宗と妹千秋太后に波乱が待っていた。
登場人物


       

千秋太后役:チェ・シラ
彼女の名はファンボ・スで、後に千秋太后になった。高麗帝国の創業者である太祖の孫娘で高麗5代王景宗の第3皇后、高麗6代王成宗の妹、そして高麗7代穆宗の母后だった女性。大高麗という理想のために自分の血縁と政敵にならなければならなかった。そしてそのために愛するもの全てを失わなければならなかったが、自ら高麗という選択を一度も手放すことができなかった。 964年太祖の息子戴宗旭とソニ王后の間に生まれた。母ソニ王后が早くに他界するとファンボ・スと兄弟たちは祖母シンジョン皇太后ファンボ(太祖の第4妃)の手で育てられる。その時、祖母の下で一緒に育った兄弟が第6代高麗国王成宗になるワンチと第8代高麗国王である顯宗の母であるホンジョン皇后ファンボ・ソルだ。ファンボ・スは王室の姫として生まれたが、最初からリーダーとして生まれたのではない。自らの理想を作りそのために体当たりでぶつかりながら成長してゆく人物だ。西経八関会に参加したファンボ・スは渤海流民の乱闘事件に巻き込まれカンジョとカン・ガムチャンに出会う。二人との縁と、祖母の教訓によりファンボ・スは散らばって暮す高句麗人、渤海人、新羅人を共にする大帝国高麗を夢見ることになる。

       

キム・チヤン役:キム・ソックン
ファンボ・ス、千秋太后の一生の恋人。新羅王族の子孫で新羅の復興を夢見る男。彼はファンボ・スが一生をかけて守ろうとした高麗を無くそうと彼女に近付く。しかし利用しなければならない対象である彼女を愛してしまった。キム・チヤンは新羅王族の子孫だ。幼い頃は自分の身分を知らないまま母と山里で暮らしたが、新羅復元の夢を見た父の政敵により母が暗殺された。その後、苦労しながら父を探すが、その父は彼が到着する直前に息絶えた。そして?眞人たちが住んでいた地域の片隅、新羅の復興を夢見る主戦派たちの部落で育つ。その時から頭に叩き込まれたのは新羅の復興と親の恨みを晴らす事だ。ファンボ・スとの出会いは運命的だった。彼女を利用しようと彼女について千秋宮に入る。そして彼女の成長とともに彼の勢力も徐々にその基盤が固くなる。しかし彼はためらう。彼女に対する彼の愛は既に彼の目的の足かせになっていた。愛と目的が互いの足かせになってしまった。

       

カンジョ役:チェ・ジェソン
千秋宮の姫時代からファンボ・スのそばを守って来た。最後の死の瞬間までファンボ・スのためにならどんな苦痛も耐える男。彼にとって愛は一生の祝福と同時に呪いだった。カンジョの祖父は渤海の名武将で、父親は定安國の名武将だった。定安國に反乱が起き父は殺され彼は定安國を脱出して高麗まで来た。だが高句麗を引き継いだ渤海の子孫である自分たちに温情を施すはずだという考えとは違い、彼と渤海の流民たちはけだもののように収容所に閉じこめられてしまった。その鬱憤を晴らそうと八関会が開かれる日、高麗王に会おうと暴動を起こした。そしてその日、彼は運命の女人ファンボ・スに会う。千秋宮に武官として入った日から彼はファンボ・スのそばで彼女を守り彼女の影として生きた。彼女が王(景宗)の妻になり宮に入った日、御輿についたのも彼だったし、すべてを失い息子さえ失って宮で追い出されたファンボ・スを守ったのも彼だった。ファンボ・スを見守りながら彼の中にファンボ・スを女として見る気持ちが徐々に芽生えていることに自ら苦しむ。ファンボ・スはあまりにも高貴な存在だったから・・・ただ側で彼女を守れるだけで満足しなければならないと自分に言い聞かせてきた。

       

カン・ガムチャン役:イ・ドクファ
高麗の名臣、太祖王健を助けて功を立てた三韓碧山功臣グンジンの息子。光宗の豪族首切り政策に巻き込まれて家が沒落、17歳の時から世の中を放浪しながら暮す。若い頃経験した家門の沒落という逆境にも屈せず、彼は広い心を持って生まれた人だった。だから苦難の歳月の中で自分の敵さえも可哀相だという考えを持つようになる。彼は自分がどんな時どこにいてもあまり不満がない。ただその時その場でうまく生きさえすれば良いと思っている。そのため彼は年を取るほどいたずら好きになるが、だからと言って何の考えもない人ではない。彼は誰よりも明皙で誰より状況判断も早い。一歩先に進んで考える。それが彼をもっと奇人のように見せたのかも知れない。

       

ワンウク(アンジョン・ウク/キョンジュ院君)役:キム・ホジン
太祖の八番目の息子で母親は新羅ギョンスン王の叔父キム・オクリョムの娘であるシンソン王太后金氏。景宗末期に次期王候補にあげられた人物。ファンボ家の人間である成宗よりは新羅系のシンソン王后金氏を母に持つワンウクを新羅も先に心に留めた。しかし彼は権勢欲がない。王になりたくもなく、政治に関わりたい気持ちも全くない。それよりは自由に生きて行きたい。だが素質がないわけではない。世の中を見る眼もあり、学問が好きで厚徳な人柄の持ち主。景宗の死後、婚家に出たファンボ・ソルに再び会い愛するようになる。

       

ホンジョン王后(ファン・ボソル)役:シネ
千秋太后と成宗の妹で、後日のホンジョン王后で顯宗の母。景宗の第4妃になるが後にワンウクとの間に顯宗を生む。清く明るい性格で幼い頃から姉であるファンボ・スや兄である成宗に愛される。幼い頃、渤海流民事件で出会ったアンジョン・ウクに片思いする。ところがその片思いは景宗に嫁げという家の命令で遂げられなかった。しかし宮に入って行っても彼女のアンジョン・ウクに対する愛だけは変わらなかった。夫の景宗は彼女にとって単なる兄的存在だった。

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昨日みた光景

オフィス街の街角に、女性の路上生活者が立っている。
髪の毛は、かなり長く、もじゃもじゃにからまった部分がかなり大きいため、路上生活歴は相当長いようだった。
ジャージのグレーの半ズボンを着ていて、ひざから下の脚は色白だったが、赤くなった場所がいくつかあった。

路上生活では、虫にも刺されるのだろうと思った。

痛そうだった。
少し白髪があるから、アラフォー世代だろうか。
いったいどうして、そんな境遇になったのだろう。

何をしているのかなあ、と思ったが、すぐ前に、地下にある和食レストランの見本サンプルの食事が1セット、ラップをかけておいてあるのが見えた。

それを見ているのだろう。

通り過ぎて、用事をすませ、また通りかかると、そのお食事をじっと見ていた。

その後、また通りかかったら、お食事セットの中の、小皿をかちゃかちゃ音を立てていた。

きっとおなかがすいているのだろう。

おいしそうな見本のお料理を見て、たまらない気持ちになったのだろうか。

かわいそう。。
何とかしてあげたいと思ったが、お金をちょこっとあげてもどうにもならないだろう。


路上生活者の中には、のんきな顔をしてる人もいる。

いろいろ食べ物を見つける方法があるという話も聞いたことがある。

新橋のあたりなど、いつもきまった路上生活者がいる場所もある。

しかし、ほとんど男性。
男性だと、どこで手に入れるのか、お酒を飲んでいたりする。

もちろん男性もかわいそうだけれども、この女性は、本当に哀れだった。

女性の路上生活者は、それほど多くない。

同じ女性同士だからだろうか。
本当に、気の毒だと思った。


結婚してたのだろうか。

家族は? 出身地は?
どうして家を出たのだろうか?

住むところを追い出されたのだろうか?

家賃滞納か?
家庭内暴力か?

なんとかならなかったのだろうか?

今、格差社会とかいわれて、年越し派遣村とかあったけれども。。。

社会のセーフティネットが必要。
先日のニュースでは、生活保護を認めてもらえなかった男性が、餓死していたというのがあった。

孤独死もかわいそうだけれども。。。

本当に、どうにかならないものだろうか。。

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歴史追跡:栄山江アパート型複合古墳のミステリー

新羅、高句麗、百済の時代の遺跡発掘の話。
面白かったのでメモした。
今まで知られていないのがすごい。


栄山江(全羅南道)中流の羅州、永洞里で2005年、様々な形の墓が大量に発掘された。5~6世紀のものと思われる墓には、人骨がほぼ無傷のまま残っていた。
「日本人、中でも九州地方の人と非常によく似ています」



永洞里古墳から発掘された人骨の謎。
王陵に次ぐほど巨大な、7基の封墳があることがわかった。

合計23体分の人骨。

4世紀から6世紀にわたって、作られた封墳内には、40余りの墓がびっしり詰まっていた。何より驚くのは人骨が見つかったことだった。1500年前の人骨がほぼ無傷で大量に発掘されたのは、初のこと。

釜山、東亜大学。

石を積んで遺体が入る部屋とする百済式石室墓が8基。

平たい石で四角い箱型の桝をつくって棺を納める石桝墓も確認された。


一番多かったのは、甕棺墓。

大きい甕を棺に使う甕棺はこれまで28基が確認された。

まっすぐ立てたまま埋葬した直立埋置甕棺もあった。

「普通の古墳には、大きな封墳に石室や石桝が一つずつあります。しかし、このアパート型複合古墳には多葬形式になっています。後ろの封墳の場合、石室が6つも7つもあるのです。そのため、一般的にアパート型複合古墳と呼ぶのです」
百済の中心地だった扶余や公州では、このような様式は見られない。

「資料を調べても百済地域には、口縁がこんな形の土器はありません。付加口縁長頸壺だから…」
副葬品の地域を巡って、学者達の意見は食い違った。

「新羅の付加口縁長頸壺を思わせますね。新羅の影響を受けて、それを模倣してここで作ったのではないか」
「日本の大きい土器ではなく小型土器や小壺によくあるのでは…口縁部よく似ていますね。口の先端部分はそうじゃないけど、似ていると思います」
この地域に関する史録はあまりないので、副葬品は墓の主を探る重要な手がかりとなる。様々な土器類も大量に出土した。
百済だけでなく、新羅や可耶など周辺国の土器も多数あり、活発な交流ぶりがうかがえる。
副葬された鉄剣は被葬者の政治的地位を物語る。

「数キロ先には、栄山江が流れています。栄山江地域に湿地が形成され、やがて農耕地となりました。栄山江の多侍平野はこの一帯でも大きい平野です。この平野を支配管理していた勢力の首長クラスだと思われます」
栄山江流域を拠点に大勢力を形成した永洞里の古代人。彼らは誰だったのか。

百済の石室墓が最も保存状態が良かった。
「完全に白骨化した後、石室内できれいに整理されています。整理して、次の被葬者の空間を確保しています。1世代や2世代で構成された家族墓ではなく、少なくとも3世代、4世代で構成された家族墓と見るのが妥当でしょう」

数世代にわたる多葬は、栄山江流域固有の風習で、あるじは土着勢力だと考えられる。
「現在のところ、栄山江流域の古人骨は、目鼻立ちが真ん中に集まっている傾向があります。目鼻立ちが狭いというのが特徴的で、新羅や可耶の人とは異なる特徴だと思います。肉眼で見ても分かるように、この鼻筋から口までの距離がとても狭いですね。額の部分は逆に広いようです」
栄洞里人骨の特徴は一目瞭然である。朝鮮初期の人骨とは顔立ちが違う。

「顔の目鼻立ちが近寄っているというのが、特徴ですね。そういう特徴をたどっていくと、永洞里の人骨は日本の人、中でも九州地方の人と非常によく似ているのです」

DNA鑑定を中央大学に依頼した。
古人骨のDNA鑑定は難しいので、そのため細胞中に多数あるミトコンドリアDNAを使う。

2号石室の女と1号石桝の男女は母系遺伝子が同じだった。
他の人骨も同じで、母系社会だったことを推測できる。

「分析を試みた5基の墓のうち、実際に分析できた4基の人骨は、母系遺伝子であるミトコンドリアの塩基配列が非常に類似しています。言い換えれば、一つの家系、しかも、一つの母系だと推定できる人骨だという結論をえました」

永洞里人骨を百済、新羅、日本の古人骨の遺伝子と比較した。

標本数は少ないが、驚くべき結果が出た。
「現代人と比較した場合、現代日本人に類似していました」

永洞里人骨は遺伝的に百済や新羅よりも現代日本人に近かった。この結果はどういう事か?

「仮説の一つは、5世紀当時、日本に住んでいた人と、永洞里に住んでいた人は、同じ集団である可能性が高いのです。移住してきたという仮説です。2つ目の仮説は、5世紀に永洞里にいた人が、日本に移住して、かなり大規模に遺伝的変異を残したのではないか。現地集団との交流や結婚を通じて、永洞里の遺伝子を日本列島に残したという可能性もあります」
この地域の土着勢力らしき、永洞里の人骨、遺伝子分析結果は、栄山江流域勢力が韓半島より日本に大きい影響を与えた事を示す。彼らの影響圏はどこまでだったのか。

「百済と新羅、そして可耶よりも、現代日本人に最も遺伝的に近い永洞里古墳の人骨。日本との活発な交流があったという意味です。百済王室が大阪京都など、日本の中央と交流した事実は有名ですが、栄山江流域勢力と日本との関係に関する文献記録は残っていません。栄山江流域と日本はどのような影響を互いに与え合ったのでしょう」


全羅南道、海南部。
韓半島の南端部。
古代から、韓・中・日の交流の拠点だった。

2年前、海南、玉泉面でも永洞里と同時代の古墳が発掘された。平たい石で作った四角い枡に、棺を安置した石桝墓。規模は大きくないが、その副葬品が学会の関心を集めた。

瑞獣形土器。

中でも珍しい形の土器が注目を集めた。龍のような吉兆の動物を形象化した瑞獣形土器という土器が、この地域で初めて出土した。

死者が瑞獣に乗って安らかに天国へ行くことを願って作られた。ところが、海南の瑞獣形土器には、性器を露出した土偶、土で作った人形が乗っている。土偶は新羅の代表的な造形様式だ。
「乗っている土偶の性器を誇張しています。新羅様式の土器、長頸壺や高杯に付随する土偶には、性器を誇張するものが多いのです。このように、粘土で作った土偶を付けている物もよく見られます。つまりこれは新羅様式だと言えます。こういう土器が、海南地域で出土しており、これ以外にも新羅の土器は6世紀にも見られます。海南地域では、他にも、百済系や倭系、可耶系土器も出ており、いろいろな様式の土器が見られます。これは、この海南地域で、潮流を利用した交流があって、海南地域の特性として寄港地の役割を果たした場所であったと思われます」

イモガイ製腕輪。

出土した遺物は国際的だった。イモガイで作った腕輪は、日本南方沖縄に生息するイモガイやスイジガイで作る代表的な日本の特産品だ。このような貝の腕輪は、身分の高い人だけが使えた。が草たちは、萬義塚を国際商人の墓だと見ている。
新羅、可耶、そして日本と交流した国際商人。

波状文土器(可耶系)。
彼らも栄山江流域勢力の一部だった。

鳥足文土器。
萬義塚で出土した鳥足文土器は栄山江流域固有の土器だ。踏んで通ったように鳥の足跡が鮮明だ。

「百済系統の遺物よりも、そうでない遺物の方が多く出ていますね。遺物で見る限り、栄山江流域が百済の一部だったと見るには、多少無理があると思われます。勿論百済戸の交流もありますが、可耶や倭とより活発に交流を行ったのでしょう」

鳴梁海峡。

イ・スンジの鳴梁大捷で有名。彼は、この潮流を利用して大勝した。

海南・鳴梁(海鳴り)。
特に、海南の鳴梁は、潮流が速い上に方向が変わりやすく、潮時を知らなければ通れない。栄山江勢力は複雑な海路を掌握して、強力な海商勢力となったようだ。

「百済が、倭と通交する際に、必ず通過しなければならない地域だったので、彼らの協力なしでは航海することが難しかったでしょう。そういう意味で、彼らはある種の道案内の役割を担ったと思います」

栄山江勢力の影響圏は、どこまで拡大したのか。
現代も韓国と活発に交流している日本の福岡。地理的条件で古代から、栄山江流域との交流が活発だった。

福岡の番塚古墳。
ここから、百済系土器が多数出土したが、その土器は、百済系というより、栄山江流域土着勢力の物だった。
土器表面にくっきり刻まれた、鳥の足跡。栄山江流域の鳥足文土器だ。                                                                                                                        
「この栄山江流域の特徴的な物は、馬韓系統の土器なんです。鳥の足跡を刻んだ鳥足文土器が日本で出土する馬足は、まず間違いなく栄山江流域から渡ってきた物だと言えます」

1985年に発掘された日本・奈良の藤ノ木古墳。造成時期は、6世紀末と推定される。  古墳からは、金銅製履が、出土した。華やかに飾られた金銅製履で目を引くのは、魚形飾り。初めて出土し、日本では、独創的遺物だと、大騒ぎになった。          ところが、十数年後の1990年代半ば、韓半島でも魚形飾りの金銅製履が発掘された。                    

全羅南道羅州市伏岩里古墳群。
永洞里と同じく、様々な墓制のアパート型古墳だ。
金銅製履は、甕棺を安置した石室にあった。
履の形と魚形飾りは、藤ノ木古墳の物とそっくりである。調査の結果、伏岩里の金銅製履は、藤ノ木の物より、100年ほど早いことが判明した。日本の物に比べて、飾りが少ない伏岩里の履。魚の形は、リアルで精巧だ。

伏岩里古墳の規模と副葬品の豪華さから、学者たちは、永洞里より大きい勢力と見ている。伏岩里では、甕棺を石枡に埋めた墓も発見された。
甕棺墓。
同じ様式の墓が日本でも確認された。

日本・福岡県・新町遺跡。
鳥足文土器と永洞里地域特有のかまどが注目された。この古墳も様々な墓制が混じっている。石桝の中に、甕棺を入れているのは、伏岩里と全く同じだ。
日本で続々と現れる栄山江勢力の遺跡は、彼らの影響圏の広さを物語る。彼らのDNAが現代日本人に近いのは当然かもしれない。

「3~4世紀頃に、栄山江流域の人々が日本の九州や大阪に大勢渡りました。形質医学的に見た場合、韓半島南部地域と、日本の九州や大阪地域は密接しているので、こういう結果になったのでしょう」                              

「栄山江流域勢力が旺盛な海洋活動をした様々な痕跡が見えます。その活動は、単純に物流があったということや、無形の文化交流があったということだけではありません。人的な交流も十分にあったと考えられます。日本にある栄山江流域系統の遺跡や遺物を見ると、栄山江流域の人々が日本に渡って定住したとも考えられます。彼らが現代日本人を形成する形質に影響を与えたというように、推定することも可能です」

これまでに、発掘された遺跡は、栄山江勢力が九州・福岡の他に、日本の中央だった奈良・大阪とも交流したことを示す。
百済を中心に記述された韓半島と日本の交流史は、その前に文化を伝えた栄山江勢力を中心に見直すべきではないだろうか。

永洞里と伏岩里の両アパート型複合古墳は、共に3世紀の甕棺古墳から始まった墓です。この甕棺は、不思議なことに南部の生命水である栄山江流域から集中的に出土し、甕棺古墳勢力と呼ばれています。彼らはどのように百済と異なる文化を培ったのでしょう。


羅州文化財研究所は昨年、大型甕棺の再現作業を行った。
土に砂を混ぜて、強度を高め、棒状にした粘土を一段ずつ重ね、1500年前の制作方式そのままで成形した。
伏岩里近くで発掘された窯跡を基に、4メートルの窯も作った。
甕棺の乾燥に二ヶ月を要した。重い甕棺を窯まで運ぶため、地面に砂を敷いて転がし、破損を防止した。1日24時間を一週間、10トン以上の薪を使った。しかし、しばらく後、ひびが入って甕棺は割れた。1500年前の古代人はどのように甕棺を作ったのか

「一つの甕棺を作るのに、十ヶ月から十二ヶ月はかかったと思います。そうだとすれば、彼ら職人集団を管理統制する勢力がいたでしょう。この栄山江流域を掌握して統率したであろう部族長ないしは、国家成立直前の段階の勢力ですね。そのような有力な勢力が、確実に存在したと思います」

栄山江流域で発掘された甕棺は、500余り。



羅州市藩南面チャンソン村。

甕棺の発掘は今も続いている。大きな甕棺の制作には時間を要するので、甕棺自体が権威の象徴であった。大きさの異なる一対の甕を棺に用いた甕棺。彼らはなぜ甕棺にこだわったのか。

「二つの甕を合わせると卵の形になるわけです。その卵の中に入れたのです。元々人が、卵から生まれたと考えて、卵に遺体を入れることによって、復活を願ったのでしょう。再生の意味があったと思います」

時に子供の埋葬に小さい甕を使うケースはあるが、首長休の埋葬に大型甕棺を使うのは、栄山江一帯だけだ。5~6世紀は甕棺の最盛期で、2メートル超の大型甕棺も出土した。

「甕棺墓の場合、副葬品はそれほど派手ではありません。初期には鉄製の短刀とか、数点程度の土器や玉などが出土しました。5世紀に至ってようやく長い剣のような武器類が出てきます」


この頃から、甕棺古墳勢力は政治的にも強力になっていく。
百済王室で使っていた物に次ぐ華麗な金銅冠や金銅製履、環頭大刀が登場する。

金銅冠・国宝第295号。

甕棺古墳の栄山江流域勢力は国家形成前の連合体段階まで、政治力を培ったものと学者達は見ている。では、なぜ彼らは、栄山江流域を中心に成長したのか。

甕棺古墳発掘地は、栄山江流域の平野地帯に集中する。しかし、彼らは、農業より海上交易を中心とする商業勢力だった。学者達は、百済王稜に次ぐ大きな甕棺古墳の封墳を海商勢力の痕跡とも見ている。

「栄山江流域にある甕棺古墳の立地条件を考えると、ほとんどは川辺にあるか、海を見下ろせる小高い丘にあります。なので川や海から見渡した時に、大きな封墳はすぐ視界に入る立地条件にありました。どういう意味かというと、埋められた人たちが、海や川で水上活動を活発にしていたので、封墳が標識でもあったのです」

甕棺勢力が栄山江流域を拠点にしたのは、栄山江が韓半島最大の内陸水路だったからだ。

羅州船の破片・高麗時代。

去る2006年、栄山江流域で、高麗時代と思われる木製片が発掘された。

「発掘された木船の部材です。2006年、栄山江のトゥング浦付近で、発見された高麗時代初期の船舶の破片です」

我が国三度目の発見となる高麗時代の船片。
7つの破片を収拾したが、破片の大きさから推測するとおよそ200トンの大船となる。

「船の底板と外枠を連結する部分は、L字形の構造になっています。底板と外枠、そして縦に通す材木の大きさから、推定では長さ32メートル~42メートル、100~200トンの大船です。高麗時代にもこういう大船の記録があります。羅州には、栄山倉があって、漕倉がありました」

米1000石を積載できた大船の羅州船は、栄山江流域で生産した米を運んだ。栄山江河口の木浦港から、羅州栄山浦まで。ほんの100年前まで、栄山江は海と陸地を結ぶ韓国最大の内陸水路だった。

「この通り、沖積堆地が形成されています。数千年、数万年、川が流れる間に、どんどん埋まってきたわけです。大昔は、今の6倍ぐらい川幅があったようです」

今は沖積平野となり、昔の栄山江の痕跡は見つけにくい。古代の水域は、現在と比べて6倍ほど広かったと推定できる。まさに海のように広い川だった。
「帆を上げて船が行くと、速い時には、20ノットまででます。かなり速いですよ、当時としての水運は、現在の高速道路のようなものです。栄山江流域で、甕棺古墳を作った人々が、水運を掌握して、水上活動を活発に行ったのです。おそらく日本列島や中国大陸などと活発に交易したのではないでしょうか」

栄山江と水路でつながる西・南海の海を掌握した栄山江勢力。1500年間眠っていた永洞里人骨の発掘により、韓半島、西南海地域の古代史は、改めて注目され始めた。

1500年前、海洋時代を切り開いた栄山江流域勢力、彼らは海上交易を通じて、多様な文化を受容しては伝えた開放的な勢力でした。1500年前の人骨が現代日本人に近いという事実は、彼らの影響力が広範囲だったことを示唆します。1500年の眠りから覚めた古代人と共に、韓半島の海洋交流史は書き直されるべきでしょう。

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今週見たドキュメンタリーすごかった!!

今週の土日には、いろいろなドキュメンタリーを見た。

宇宙の歴史とか、戦争の話。

「数千億の銀河」というのが、すごく面白かった。

ハッブル宇宙望遠鏡という宇宙空間に浮かんでいる望遠鏡で見ると、地球から見るよりもはるかに鮮明な画像が撮影できる。

たとえば、ソンブレロ銀河というのは、ものすごく大きな銀河で、可視光線、X線、赤外線の画像を撮影すると、それぞれ色が違っている。

地球のある天の川銀河に一番近いのは、M32銀河で、アンドロメダ銀河。

天の川銀河とアンドロメダ銀河は、大きな銀河で、ほぼ同じくらいの大きさ。

その周りに、矮小銀河と呼ばれる小さな銀河が13個くらいあるとか。

ざっと記憶しているだけなので、不正確かもしれないけれども。

銀河の中心には、すべてブラックホールが存在しているそうだ。

難しかった。。。

ナショナルジオグラフィックで戦争特集をやっている。

アフガニスタンで活躍するグリーンベレーの取材を全部見てしまった。
一年待たされてやっと取材を許可されたそうだ。

取材中、最大の被害がでて、グリーンベレーのメンバーが、数人なくなってしまった。

戦争って、本当に、悲惨。
兵士は体が傷つくだけでなく、精神的に、まいってしまうそうだ。

自分が大怪我をして生き残っても、隣にいた人間が、跡形もなく、ばらばらに吹き飛ばされてしまったと、語る。

第1次大戦より第2次大戦、そして、さらに現代へと兵器はどんどん進化している。

アフガニスタンで活躍するERは本当にすごかった。

瀕死の重傷を負って、搬送された体。
どこが出血しているかわからないから、緊急手術して、あけてみる。
輸血は、体の全血液分以上。

本物のER。
ドラマではない。

「生々しい映像があります」みたいな、注意のメッセージが表示されたので、どうしようかなと思ったけれども、ちょっと遠くから見ていた。

お医者さんって大変だと思う。

今は、新型インフルエンザの脅威にもさらされている。

私は、大学受験の時、母に医学部へ行けといわれた。

いやだといって、現役の時は、志望校一本で、受験に失敗し、浪人。

浪人後、二期校は、母の言うとおりに医学部に出願したが、一期校に受かったので、受けなかった。

医学部に進んだある友人は、小児科の医師になったが、小児病棟があまりにも悲惨でつらいと、臨床を離れ、厚生省の役人になり、その後、健康診断の医師をしていたと、知人から聞いた。

お医者さんって、本当に大変そう。

産婦人科の医師ブログを以前読んでいたが、みんな精神的におかしくなってやめてしまうと書いてあった。
安月給で労働がきつい。

東京で一番大きい産婦人科病院にいるある女医も、子供を育てながら、すごい生活をしているらしい。
3人の子供がいて、夫と連係プレイで、何とか切り抜けているが、綱渡りのような状態だと。

今、医師不足が言われている。

また、薬漬け医療とか、病院破産とか、いろいろな問題がある。

どうしたらいいのだろうか。

フランスの外人部隊のドキュメンタリーもあった。

イギリスのケンブリッジ出身の人、フランスの陸軍士官学校卒の人、食べられなくて入隊してくる人、いろいろらしい。

数千億の銀河以外ちょこっとだけしか見なかったが。

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今見ている韓国ドラマと中国ドラマ

韓国ドラマを


J-COMでDVDに録画するために、2番組以上同時に録画できないことを利用して、余分な番組も録画予約することにより、チャンネルを変える方法で、不在時にも録画していたが、今度J-COMでそのままDVDに録画できるHDRプラスという機械が登場した。

それがくれば、DVDレコーダーに張り付いて、録画しなくてもすむようになる。

DVDに録画できなければ、ハードディスクがいっぱいになると、消していかなければならなくて、直接DVDレコーダーに録画したのでなければ、保存できなかった。
だから、できるだけ旅行などにも行かないで、言ってもすぐに帰ってくるようにして、録画していた。

これからは、HDRプラスになってからは、旅行もできるし、もっと録画しやすくなって、裏番組もDVDに録画できるから楽しみだ。

とはいうものの、たまりすぎて、全部見切れていない。
洋画、日本映画、韓国映画、韓国ドラマ、ドキュメンタリー、歴史ドキュメンタリー、などなど、J-COMやBSデジタルの中から、面白い番組を録画しているのだから、1日に、10時間分くらいたまっていったりする。

ということは、一日中見ても、間に合わない。

私ってばかね、と思うが、DVDだと、かさばらないから、たまってしまっても保存しやすい。

本がたまりすぎたときには、ほんっとうに私馬鹿よね、と思ったが。

しかし、韓国ドラマも、どんどんたまりすぎて、いったい全部見られるのだろうか、と思うが。

死ぬまでに見られなかったら、せっせと録画しても私馬鹿よね、って感じ。

ま、とりあえず、今見ている韓国ドラマ、録画している韓国ドラマは、BSで、空くらい、龍の涙、甘い人生、風の国、ロビイスト、タチャ、エデンの東など。

LALATVでは、愛情の条件、王と私。

衛星劇場では、青春の罠が終わった。

カン・ドンウが「自殺するバージョンもあるらしいが、今回のは、自殺せず、ラストは5年後になっていた。

ユニは、子供を生んで、夫や祖母や姑にかわいがられて、幸せそのもの。

カン・ドンウは、ヨンジュが別れたくないと、いいながら、未練たらたら別れる。
カン・ドンウは、妹が世話してくれた、お見合い話にまったく興味を示さず、仕事に励んでいる。

というわけで、ヨンジュ、カン・ドンウも愛し合っていたことになり、みんないい人、悪人はいない、というわけ。

第5共和国は恐ろしいけれども、ずっと録画して、時々見ている。

KBSWORLDでは。千秋太后、憎くてももう一度、がメイン。

大王世宗は、深夜の一挙再放送が始まって、録画しやすくなった。

土日には、スリングショット、かけがえのないわが子、ギョンスク、いとしの金枝玉葉、黄金のりんご、深夜再放送の怪傑春香。

これ以外に、ヒストリーチャンネルの宇宙の歴史、古代の秘密、ナショジオの戦、ディスカバリーチャンネルのいろいろなど。

他にも日本映画チャンネル、ザシネマ、NECO、TBSチャンネルのオンリー・ユーなど。

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「帝国の朝」85話と昨夜の「千秋太后」

昨夜の「千秋太后」では、景宗が悪夢でうなされる。
ナレーションで、その理由、歴史的事実を述べる。

「帝国の朝」は、別名というか、もともとの名前かもしれないが、光宗大王というのだそうで、光宗が、主人公なのだそうだ。

そして、全部で94話。
水曜の夜の85話が気にかかって、昨夜全部見た。

光宗が、ソ・ピンという4代の王に仕えた臣の首を「即刻斬れ」と命令する。
命がけでいさめたソ・ピンが、二心のない忠臣であることは、誰もが認めていた。
それで、それを伝え聞いた王妃や、臣下が集まって、ソ・ピンの命乞いをした。
光宗は、今度こそ許さないと、処刑する気だったが、命乞いを聞き入れて、許し、ソ・ピンをつれてこいと、ぎりぎになってから、命令した。

3里離れた処刑場に、ソ・ピンは、官服や冠、履物を脱がされ、罪人姿で、素足のまま歩いていった。
ソ・ピンを処刑する役目の役人は、できるだけ時間を稼いだが、日が暮れるから、処刑しようとしたとき、王からの使者が到着して、助かった。

そういうストーリーだった。

このソ・ピンが殺されるのかどうか、心配で見たのだが。。。
それから5年たったところで、85話は終わった。

しかし、この後、大殺戮があるらしい。

景宗は、光宗の次の王で、光宗が殺した王族、家臣たちの報復を認めるという報復法という法律を実施したらしい。

それでもまた、大勢死んだらしい。
その報復法のむごたらしい有様が悪夢になって出てくるというシーンが昨夜の千秋太后。

おそろしい。。。
高麗もこんなに恐ろしいんだ。。。

後の千秋太后になるファンボ・スは、シンジョン皇太后の孫。

シンジョン皇太后は、新羅系の陰謀を知り、景宗の妃に孫娘二人とも差し出す覚悟をする。

明福宮に戻り、シンジョン皇太后は、ファンボ・スに言い聞かせる。ファンボ・スは、もちろんいやがるが、シンジョン皇太后は、黄州の一族、ファンボ・スの両親を含むシンジョン皇太后の息子や娘、弟達が昔、皆殺しにされたことを、ファンボ・スに告げる。

そして、今、兄の命がかかっていることも。

兄の命を救うため、景宗に嫁ぎなさいと言われ、衝撃を受けるファンボ・ス。

そんな恐ろしい相手のところに、嫁ぐなんて、ものすごい勇気がいるのだろう。

妹のファンボ・ソルも、慶州院君への想いをあきらめて、一緒に嫁ぐことになるが。。。

やっとの思いで、景宗へ嫁いだのに、景宗からは、ひどい扱いを受け、皇后と第2妃からも、嘲笑される。

すごいどろどろ。

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韓国歴史ドラマ「千秋太后」と「帝国の朝」

「帝国の朝」は、なんかつまらないなあ、と思いながら、時々見て、録画していた。

ドラマの最初の王は、第2代恵宗だった。

儀式の最中にぶっ倒れたり、錯乱したり、なんだか、どぅしようもないなあ、と思いながら見ていた。

王室関係の登場人物がやたらと多くて、わけわからなかった。

宮中で、年取った女性が、大勢の女性を集めて、これからは、これこれこうしなければならない、みたいなお説教をして、何だこりゃ、と思っていたが。

「千秋太后」の直前が、「帝国の朝」の時代だとわかり、調べてみた。

韓国ドラマ「帝国の朝」 引用

帝国の朝
放送:KBS 2002.3
演出:チョン・ソンホン、イ・ウォンイック
出演:キム・サンジュン、チョン・へジン、チェ・ジェソン、





高 麗の王建は後三国に分かれた韓国を統一して高麗帝国を立てた。戦争よりは平和と徳で敵の勢力を包容して成した民族史の快挙である事は間違いない。しかしそ の過程で王建は豪族勢力たちとの婚姻政策で29人の夫人と多くの子供がいたため、後に血なまぐさい王位争奪戦の火種を残した。このドラマはここから始ま る。太祖に続き二代皇帝になった恵宗は豪族勢力たちに取り囲まれた置物のような王だった。ここに恵宗のライバルの腹違いの弟である王尭、王昭二人の王子が 急浮上するようになるが、しかしこの二人の兄弟も考えが合わなかった。

のちに定宗となる王尭は執権欲が一杯の野心家で、光宗王昭は皇室の安全と皇帝権の強化を追い求める皇権主義者だった。結局、熾烈な王位争奪戦の末に王尭が 恵宗を弑逆した後の権力の座についた。つまり彼が高麗第三代皇帝の定宗だ。この時から定宗は実弟である光宗を警戒し始め、定宗が死ぬと光宗は遂に権力の座 についた。しかし彼は自分の意思を遂げるのに7年という模索期間をかけ彼が立ち上がる日、数百に達する豪族と家臣たちの首が落ち、世の中は息を殺した。ド ラマ「太祖王建」に引き続き企画されたこのドラマは今日を生きて行く私たち現代人たちに韓民族としての矜持と自尊心を持たせてくれることができる意味深い ドラマになると確信する。

光宗-キム・サンジュン
太祖の三番目の息子で緻密で控え目だがチャンスをつかんだ時は果敢に追いやる度量の大きい性格の持ち主だった。王子時代に定宗と共に皇室の核心人物だった し、定宗の即位のためにもこの上なく大きな貢献をした。定宗の死後に皇帝の位についた後、7年という長い歳月の間身を低めて観望の姿勢に一貫した。しかし その後、彼は果敢な改革政策を進めた。改革政策は王権強化と高麗の対外的な位置を高めるための政策だった。また仏教に深い関心を傾け、さまざまな施策を進 めたり、高麗の領域をより拡張した。

大穆王后 皇甫氏-チョン・へジン
光宗の皇后。太祖の三番目の娘でお母さんは神静王太后皇甫氏だ。すぐれた美貌と知恵を兼ね
備え、光宗の愛を受けた。夫の光宗を皇帝の席に座らせるために彼女もすべての努力を惜しまなかったが、。。。

恵宗─ノ・ヨングック
高麗太祖王建の長男だ。若い頃から度量が大きく智勇にすぐれ、太祖が後百済を打つ時に従軍し、大きな功を立てた。太祖が死ぬと即位したが、強力な敵対勢力のため苦戦したが結局王尭が送った刺客たちによって殺害されてしまう。

定宗-チェ・ジェソン
光宗の兄で高麗第三代皇帝だ。強靭で頑固な性画で、権力欲が強かった。叔父さんと弟光宗の助けで恵宗を弑逆したあげく政権を取った。即位するやいなや彼は ソウルを移す事にした。それが豪族と民たちの不満を高め、彼は実弟である光宗をも疑い始めた。そして腹違いの兄である恵宗を殺害し罪責感に苦しみ、結局病 床に横たわるようになり光宗に皇帝の座を譲って世を去った。

引用終わり


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禁句インコおもしろい

発言小町の禁句インコおもしろすぎ♪~

「禁句」を連呼するセキセイインコ・・・どうしたら?

太郎ちゃん
2009年6月3日 17:59

お恥ずかしい話でもあり、一方では馬鹿ばかしい話でもあるのですが困っているのは本当なのです。
数日間ほど姉の子供達を学校帰りに預かってきたのですが、親が迎に来るまでの間は我が家のインコを可愛がって仲良く遊んでいました。
小学校の中・高学年でききわけもよく手もかからない子達なので気にも留めていなかったのですが、彼らが家に帰った後に仰天!
セキセイインコが夜に主人の肩の上で「キ○タマッ!!」とあの禁句をハッキリ叫んだのです。
主人も目を白黒させて「今、言ったよね。絶対言った!」とビックリ。
その日は2回ほど言ったような気がしたのですが、なんと翌日からそれはもうハッキリと「キ○タマ!」を何回も連呼するんです。
日にちが経てばたつほど仕舞には「お父さん(主人のこと)はキ○タマでしゅか?」と言う始末。(~でしゅか?・・はインコの好きなフレーズで何にでも付けてしまいます)
主人は苦笑いしながらも「そりゃ、持ってはいるけどさ~」などと暢気に聞いていますが私は恥ずかしいやら困惑するやら・・。
この先旅行などで預けたり、病院にかかる時に赤っ恥をかきそうで本当に困っています。
原因としては先に話した姉の子供達がインコがよくしゃべるのを面白がってこっそり教えていたようなのです。(姉が確認して叱ったそうです)
別にだからと言って甥っ子達に腹を立ててるわけではなく可愛いことには変わりませんし、私がちゃんと観てなかったのが悪いと思っています。
何分、小学生であれば面白がってそのくらいはやるかな・・と思いながらもやれやれです(疲)
しかも我が家のインコは自分の気に入らない言葉は何度繰り返しても一言も覚えませんが、そうでないものは相当飲み込みが早い方ですので余計かもしれません。

でも、この言葉はいつになったら忘れてくれるんでしょうか?!
どうしたらいいんでしょう・・。

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千秋太后の時代背景

千秋太后は、歴史ドラマであり、史実をもとにしているらしい。

それでも、千秋太后が始まってから、登場人物のせりふを聞くと、驚くような人間関係がある。

「新羅系が、コルサビウが演じる景宗の母を殺した」のだそうだ。

景宗の父親は、光宗。
景宗の父は、親族を大勢殺したという。

光宗は、韓国歴史ドラマ「帝国の朝」の主人公。

高麗をたてた太祖、王建は、政略結婚で29人の王妃と結婚したそうだ。

「帝国の朝」で、最初に王になっているのは、高麗の2代目、恵宗。

恵宗は、病弱で、儀式の間も立っていられず、何度も卒倒する。

錯乱したりする。

あまりにもみっともない。

次に王になるのは、定宗。

定宗は、光宗の兄で、長生きしない。

そして、光宗になり、西京を建設し、強い王となる。
主人公だから、いい王だと思っていたが。

前回の帝国の朝で、光宗は、家臣の「首を即刻はねろ」と命令する。

その後、どうなるのだろうか。

景宗は、「千秋太后」3回目で、渤海人に混じっていた若き日の千秋太后が、
「渤海人を殺してはなりません」というとき、母親の幻を見る。

そして、マザコンのように、母を求める。

千秋太后は、第5代景宗の第3妃、王位につかなかったが、太祖王建の息子である戴宗の娘、第6代成宗の妹、第7代穆宗の母。

華麗といえば華麗だが、親族間で、結婚を繰り返している。

従兄妹の結婚は当たり前で、今ならタブーといえるような婚姻関係。

エジプトの王家ほどではないかもしれないが。

ウィキペディアの高麗王系図には、
「この系図が、各王朝での世子、王位の争いを理解する上で重要である」
と書いてあった。




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韓国時代劇「千秋太后」

昨夜、「千秋太后」の第2話だった。
第1話に続き、すごいドラマチック。

第1話では、千秋太后は、逃げる契丹軍を一人で追い続けるうちに、囲まれてしまう。心配して後を追ったキム・チャンとともに、敵陣から逃れるシーンで終わった。

弓があたって落馬したキム・チャンを後ろに乗せて、走るが、ついに弓があたり、落馬し、逃げる。
そして、なんと、目の前には、目のくらむような崖。

プレミアム放送で、
「高麗の負担になりたくない」といって、キム・チャンの手を放し、崖から飛び降りるシーンが放送されていた。
その場面だった。

水の中の千秋太后。
次のシーンは、17年前の千秋太后。

スタントマンなしで、自分が演じたという。

絶対無理。
ものすごい高さの崖で、飛び降りるところ、落ちていく人間の体、水中に落ちて気絶した千秋太后役を演じるチェ・シラの顔。

本当に、あの崖を落ちたら、ほとんど助からないだろう。

スタントマンなしとは言っても、シーンを継ぎ合わせて、そう見せているだけで、あの崖を飛び降りるなんてありえない。

もし本当に飛び降りたとしたら、すごい女優魂だ。

しかし、KBSは、日本のNHKに当たる国営放送だそうだが、他の放送局が製作したドラマとは、お金のかけ方が違うと思う。

俳優も豪華だし、戦争のシーンというのは、お金がかかるもので、戦争シーンや、草原を走るところを、空から撮影したり、すごい迫力。

絶対、SBSや、KNTVには、まねできないじゃないでしょうか。
でも、韓国は、国民を幸せにするものだからとして、映画やドラマに補助金を出しているそうだから、みんな補助金をもらっているのでしょうか。

千秋太后は、脚本家が三人いる。

週に2回とか放送している韓国のドラマは、一人では無理に決まっている。

ニュースを調べたら、キム・チャン役の俳優が交通事故で、撮影を続けられなくなったが、急遽、戦で負傷したというシーンを増やして、寝たままのキム・チャンで撮影できるように書き換えたそうだ。

いったいどうなるのだろうか。

やはり、脚本のできが違うと思う。

すごい。。。

モデルになった千秋太后の人物像も、波乱万丈で面白い。。。

今、女性の時代といわれている。
そのような時代にふさわしい。

韓国の女性は、たくましい女性が多い印象だが、千秋太后は、武術も政治も有能。

太祖王建の幻を見るところなど、なるほどと思わせる伏線で、面白い。
これが、すごく効いている。

そして、滅亡した渤海国の難民達がかわいそう。

難民収容所に入れられている。
西京に皇帝が来ていると聞いて、訴えようとしたら、暴動をおこしたことにされてしまい、ぼこぼこにされる。

高麗皇帝は、なんとテ・ジョヨンでは、コルサビウ役を演じた俳優だった。

高麗皇帝は、ひどい暴君。
皆殺しにしろと、命令するわけ。

せっかく、テ・ジョヨンが建国した渤海も、200年で滅亡し、またみな難民となって、娘達は、奴婢として売られようとする。

契丹については、天龍八部を見て、いい印象を持っていた。
主人公が契丹人であることを誇りにしている。

しかし、このドラマを見ると、また別の印象。

今回、最悪の契丹人と千秋太后が弓術の試合で戦うが、すごいやな奴。

千秋太后は、契丹よりの政策をとって、戦争をなくすはすだ。
そして、ソ・ヒは、交渉で、契丹との戦争を終わらせたことになっている。

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地球温暖化と太陽の黒点

地球温暖化と毎日言われている。

エコポイントというものができたそうだ。

しかし、地球の気候予測について、温暖化と寒冷化の両方の説があることを、昔本で読んだ。

昔々、ある本に書いてあった。
「太陽の黒点が温暖化に関係しているというばかばかしい議論まである」
確かそんなことが書いてあった。

データを見るとそうなっているが、そんなことが関係するわけがない、ばかばかしい、というようなことを筆者は書いていた。
かなり昔の本。
昔はそんなもんかなあというと思った。

ところが、今朝の朝日新聞の記事を引用すると。。。。


太陽の活動が200年ぶりの低水準にまで落ち込んでいる。これまでのパターンだと再来年には活動の極大期を迎えるはずなのに、活発さの指標となる黒点がほとんど現れない。

研究者も「このままだと地球はミニ氷河期に入る可能性がある」と慌て始めた。国立天文台は今月下旬に研究者を集めた検討会を開く。 太陽の活動は約11年周期で活発になったり、静穏になったりというパターンを繰り返している。活動ぶりの指標が表面にシミのように見える黒点。黒点の周辺では爆発現象が多く起こり、黒点が多いほど、太陽の活動が活発だ。 

ところが、デンマークの太陽黒点数データセンターによると、黒点の多さを表す「相対数」は08年が2.9で、過去100年で1913年の1.4に次ぐ2番目の少なさだった。今年はさらに減り、4月までの暫定値が1.2と、1810年の0.0以来の低水準に落ち込んだ。 太陽から放出される陽子などの流れ(太陽風)も07、08年は過去数十年とまったく違う。静穏期の太陽風は遅い風が赤道に、速い風が北極と南極に集まるが、名古屋大太陽地球環境研究所の観測では、07、08年は赤道付近にも速い風が多く現れた。

徳丸宗利教授は「太陽の磁場が弱まっている影響だろう」という。この磁場の弱まりも、黒点の減少と関係があるとみられる。 太陽活動には数百年周期の変動も知られる。17~18世紀には約70年間、黒点がほぼ消え、欧州では英国のテムズ川が凍るなど「ミニ氷河期」に陥った。東京大宇宙線研究所の宮原ひろ子特任助教は「ここ1千年でも活動の極小期が5回あり、前回が1800年ごろ。歴史的には、そろそろ次の極小期に入ってもおかしくない」と指摘する。

 国立天文台の常田佐久教授は「X線や光も弱まっている。今後、再び黒点が増えても、従来のような活発さになると考える太陽研究者は少ない」と話す。(東山正宜)

引用終わり

最近は、そのようなニュースを見る。
太陽のこともいろいろわかってきた結果、この説は広く認められているらしい。

昔、太陽の黒点なんかが地球の気温に関係するわけがない、という本を書いた著者は、もう亡くなっているかもしれない。
年寄りの学者はそう思っている人が多かったかもしれない。

科学って、本当に、うそばっかり、と思うことがある。

進歩すると、前の説がころっと否定されることがあるからだ。

ダークマター、ダークエネルギーというと、スターウォーズのことかと思うが、J-COMのドキュメンタリー番組、宇宙の歴史で、それらを解説する番組を見た。

暗黒の宇宙空間が、X線天文学という分野の学問で、X線を撮影する写真をとると、光り輝いている。
高温の物質が、宇宙空間にあるなんて、アンビリーバブル。

それでも十分にびっくりだったのだけれども、この前見た宇宙の歴史は、なんと「パラレルワールド」。
よくSFでそういう話があるけれども、まさか科学者が本当に考えているなんて、びっくり。

「パラレルワールドがあると考えている科学者もいる」というナレーションだったので、ま、全員そう思っているわけではないでしょうが。

そう考えている科学者曰く「パラレルワールドの数は4つかどうかが、今、問題なのです」
なのだそうだ。


ま、温暖化に話を戻すと、二酸化炭素が原因といわれているけれども、そうではないとする科学者もいる。二酸化炭素説のアル・ゴアの映画を見たけれども、私は、ちょっと推論が飛躍していると思った。

同窓会関係で、大気の研究者の話を聞くことができた。
聞いているお年寄りの先輩は、「二酸化炭素が原因なんでしょう?」としつこく聞いて、広報誌に載せたレジュメにも、二酸化炭素が原因と書いてあったが、当の大気の研究者はそう言っていなかったと思う。

「二酸化炭素が原因かどうかという話を始めると、二時間では終わらなくて、二日くらいかかってしまう」といっていた。
いろいろな説があるらしい。


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渤海国という本が面白かったです

テ・ジョヨンというドラマを見て、渤海国に興味を持ちました。

本屋さんで、偶然、渤海国という本を見つけ、買って読みました。

文庫本なので、小さくて、安かったので、バッグの中に入れて、暇なとき読めました。

著者の上田雄氏は、渤海研究の専門家だそうだ。
冒頭の学術文庫版まえがきに、渤海史をめぐる政治情勢の変化ということについて、書かれている。
1992年に前著「渤海国の謎」を書いたときは、それほど顕著ではなかったけれども、十年あまりすぎた時点で、
「渤海国は、マッカツ人の国か、朝鮮族の国か」という論争が、火花を散らすほど激しくなっていると。

中国と朝鮮の間で論争があり、また日本海の表記についても韓国と日本の間で論争があるとか、いろいろの点について断り書きがある。

渤海という国が成立した時点で、周りを敵国に囲まれていたため、日本と仲良くしようということで、始まった渤海からの使節だったらしいが、最初の使節は、秋田県で、原住民(おそらくアイヌだと思われるが)に、攻撃されて、生き残りが、京都に上ったそうだ。
その後も、秋から冬にかけて大陸から日本へ向けて吹く季節風に乗り、日本に漂着する渤海使の話や、渤海国の事情などが、非常に面白かった。
平和な国で、ほとんど戦争がなかったため、歴史が残っていないらしい。

契丹が、滅ぼしたときに、破壊しつくしたため、遺物もなかったらしい。

そのため、謎の国だったそうだが、渤海使と日本でのやり取りが、詳しく記録に残っているという。

渤海使は、最初、軍事同盟を目的として、送られてきたが、平和が続くと、貿易というか、物々交換が目的になったそうだ。

日本の平安貴族は、渤海からきた毛皮を着るのが流行していたという。

なんか、おかしい。

平安朝の十二単を着ている貴族達が、毛皮を着て、自慢していたなんて、笑っちゃう。

日本中のいろいろな場所に、漂着して、やっとたどり着き、ドンちゃん騒ぎや、漢詩を送りあって、楽しんだそうだ。
菅原道真や、その庶子などが、日本側の接待役で、すばらしい漢詩を残している。

渤海側の漢詩も残っている。

そして、帰るときは、船を作ってもらい、お土産をいっぱいもらって、護衛や船を操る人を乗せて、帰っていったそうだ。

そして、日本側は経費がかかるので、10年に一回にすると宣告したのに、何とか理由をつけて、頻繁に日本に来たがったそうだ。

すごく親しみを感じる。

しかし、今は、忘れられた国になってしまった。

渤海のあった場所は、広大だったのに、今は、ほとんど記録が残っていないそうだ。

著者はそのわけを、二つあげている。
一つ目は、戦争とか征服というようなドラマチックなことに縁がない平和な文化国家だったから。
二つ目は、空白地帯だったから、
渤海国が滅びた後、その地域には女真人が住み続けたものの、国家らしいものは建設されることがなく、彼らの子孫の中から英傑が出て、民族を統率した場合も(金や清がそうであるのだが)、渤海国の跡地に国を作ろうとせず、いずれも中原を目指してなんかし、中国の王朝国家を継承することに件名となり、自らの出身地は、変居欧の地として顧みなかった。ついにその跡地には、1000年以上にわたって、というよりは、現在に至るまで、国家らしい国家が形成されたことがない。

現在、渤海国のあった場所は、中国東北部、北朝鮮、ロシア極東地域・沿海州と3つの国に分断されているそうだ。

しかし、200年間にわたって、日本に文化使節を送り続けていた。

詳しくは、「渤海使の研究」という分厚い本があるそうだが、この渤海国という文庫本には、読んで面白い内容が、コンパクトに書かれている。

唐と行き来する航路は、南に流されると、とんでもない場所へ行ってしまって、ベトナムとかまで流されてしまうこともある。
それに比べて、渤海経由は比較的安全な航路だったらしい。

古代の船はどんな船だったか、わからないそうだが、古代人の国際交流の様子がわかってとても面白い。


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