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渤海国という本が面白かったです

テ・ジョヨンというドラマを見て、渤海国に興味を持ちました。

本屋さんで、偶然、渤海国という本を見つけ、買って読みました。

文庫本なので、小さくて、安かったので、バッグの中に入れて、暇なとき読めました。

著者の上田雄氏は、渤海研究の専門家だそうだ。
冒頭の学術文庫版まえがきに、渤海史をめぐる政治情勢の変化ということについて、書かれている。
1992年に前著「渤海国の謎」を書いたときは、それほど顕著ではなかったけれども、十年あまりすぎた時点で、
「渤海国は、マッカツ人の国か、朝鮮族の国か」という論争が、火花を散らすほど激しくなっていると。

中国と朝鮮の間で論争があり、また日本海の表記についても韓国と日本の間で論争があるとか、いろいろの点について断り書きがある。

渤海という国が成立した時点で、周りを敵国に囲まれていたため、日本と仲良くしようということで、始まった渤海からの使節だったらしいが、最初の使節は、秋田県で、原住民(おそらくアイヌだと思われるが)に、攻撃されて、生き残りが、京都に上ったそうだ。
その後も、秋から冬にかけて大陸から日本へ向けて吹く季節風に乗り、日本に漂着する渤海使の話や、渤海国の事情などが、非常に面白かった。
平和な国で、ほとんど戦争がなかったため、歴史が残っていないらしい。

契丹が、滅ぼしたときに、破壊しつくしたため、遺物もなかったらしい。

そのため、謎の国だったそうだが、渤海使と日本でのやり取りが、詳しく記録に残っているという。

渤海使は、最初、軍事同盟を目的として、送られてきたが、平和が続くと、貿易というか、物々交換が目的になったそうだ。

日本の平安貴族は、渤海からきた毛皮を着るのが流行していたという。

なんか、おかしい。

平安朝の十二単を着ている貴族達が、毛皮を着て、自慢していたなんて、笑っちゃう。

日本中のいろいろな場所に、漂着して、やっとたどり着き、ドンちゃん騒ぎや、漢詩を送りあって、楽しんだそうだ。
菅原道真や、その庶子などが、日本側の接待役で、すばらしい漢詩を残している。

渤海側の漢詩も残っている。

そして、帰るときは、船を作ってもらい、お土産をいっぱいもらって、護衛や船を操る人を乗せて、帰っていったそうだ。

そして、日本側は経費がかかるので、10年に一回にすると宣告したのに、何とか理由をつけて、頻繁に日本に来たがったそうだ。

すごく親しみを感じる。

しかし、今は、忘れられた国になってしまった。

渤海のあった場所は、広大だったのに、今は、ほとんど記録が残っていないそうだ。

著者はそのわけを、二つあげている。
一つ目は、戦争とか征服というようなドラマチックなことに縁がない平和な文化国家だったから。
二つ目は、空白地帯だったから、
渤海国が滅びた後、その地域には女真人が住み続けたものの、国家らしいものは建設されることがなく、彼らの子孫の中から英傑が出て、民族を統率した場合も(金や清がそうであるのだが)、渤海国の跡地に国を作ろうとせず、いずれも中原を目指してなんかし、中国の王朝国家を継承することに件名となり、自らの出身地は、変居欧の地として顧みなかった。ついにその跡地には、1000年以上にわたって、というよりは、現在に至るまで、国家らしい国家が形成されたことがない。

現在、渤海国のあった場所は、中国東北部、北朝鮮、ロシア極東地域・沿海州と3つの国に分断されているそうだ。

しかし、200年間にわたって、日本に文化使節を送り続けていた。

詳しくは、「渤海使の研究」という分厚い本があるそうだが、この渤海国という文庫本には、読んで面白い内容が、コンパクトに書かれている。

唐と行き来する航路は、南に流されると、とんでもない場所へ行ってしまって、ベトナムとかまで流されてしまうこともある。
それに比べて、渤海経由は比較的安全な航路だったらしい。

古代の船はどんな船だったか、わからないそうだが、古代人の国際交流の様子がわかってとても面白い。


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