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韓国歴史ドラマ「千秋太后」と「帝国の朝」

「帝国の朝」は、なんかつまらないなあ、と思いながら、時々見て、録画していた。

ドラマの最初の王は、第2代恵宗だった。

儀式の最中にぶっ倒れたり、錯乱したり、なんだか、どぅしようもないなあ、と思いながら見ていた。

王室関係の登場人物がやたらと多くて、わけわからなかった。

宮中で、年取った女性が、大勢の女性を集めて、これからは、これこれこうしなければならない、みたいなお説教をして、何だこりゃ、と思っていたが。

「千秋太后」の直前が、「帝国の朝」の時代だとわかり、調べてみた。

韓国ドラマ「帝国の朝」 引用

帝国の朝
放送:KBS 2002.3
演出:チョン・ソンホン、イ・ウォンイック
出演:キム・サンジュン、チョン・へジン、チェ・ジェソン、





高 麗の王建は後三国に分かれた韓国を統一して高麗帝国を立てた。戦争よりは平和と徳で敵の勢力を包容して成した民族史の快挙である事は間違いない。しかしそ の過程で王建は豪族勢力たちとの婚姻政策で29人の夫人と多くの子供がいたため、後に血なまぐさい王位争奪戦の火種を残した。このドラマはここから始ま る。太祖に続き二代皇帝になった恵宗は豪族勢力たちに取り囲まれた置物のような王だった。ここに恵宗のライバルの腹違いの弟である王尭、王昭二人の王子が 急浮上するようになるが、しかしこの二人の兄弟も考えが合わなかった。

のちに定宗となる王尭は執権欲が一杯の野心家で、光宗王昭は皇室の安全と皇帝権の強化を追い求める皇権主義者だった。結局、熾烈な王位争奪戦の末に王尭が 恵宗を弑逆した後の権力の座についた。つまり彼が高麗第三代皇帝の定宗だ。この時から定宗は実弟である光宗を警戒し始め、定宗が死ぬと光宗は遂に権力の座 についた。しかし彼は自分の意思を遂げるのに7年という模索期間をかけ彼が立ち上がる日、数百に達する豪族と家臣たちの首が落ち、世の中は息を殺した。ド ラマ「太祖王建」に引き続き企画されたこのドラマは今日を生きて行く私たち現代人たちに韓民族としての矜持と自尊心を持たせてくれることができる意味深い ドラマになると確信する。

光宗-キム・サンジュン
太祖の三番目の息子で緻密で控え目だがチャンスをつかんだ時は果敢に追いやる度量の大きい性格の持ち主だった。王子時代に定宗と共に皇室の核心人物だった し、定宗の即位のためにもこの上なく大きな貢献をした。定宗の死後に皇帝の位についた後、7年という長い歳月の間身を低めて観望の姿勢に一貫した。しかし その後、彼は果敢な改革政策を進めた。改革政策は王権強化と高麗の対外的な位置を高めるための政策だった。また仏教に深い関心を傾け、さまざまな施策を進 めたり、高麗の領域をより拡張した。

大穆王后 皇甫氏-チョン・へジン
光宗の皇后。太祖の三番目の娘でお母さんは神静王太后皇甫氏だ。すぐれた美貌と知恵を兼ね
備え、光宗の愛を受けた。夫の光宗を皇帝の席に座らせるために彼女もすべての努力を惜しまなかったが、。。。

恵宗─ノ・ヨングック
高麗太祖王建の長男だ。若い頃から度量が大きく智勇にすぐれ、太祖が後百済を打つ時に従軍し、大きな功を立てた。太祖が死ぬと即位したが、強力な敵対勢力のため苦戦したが結局王尭が送った刺客たちによって殺害されてしまう。

定宗-チェ・ジェソン
光宗の兄で高麗第三代皇帝だ。強靭で頑固な性画で、権力欲が強かった。叔父さんと弟光宗の助けで恵宗を弑逆したあげく政権を取った。即位するやいなや彼は ソウルを移す事にした。それが豪族と民たちの不満を高め、彼は実弟である光宗をも疑い始めた。そして腹違いの兄である恵宗を殺害し罪責感に苦しみ、結局病 床に横たわるようになり光宗に皇帝の座を譲って世を去った。

引用終わり


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