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奈良の弥生前期の大規模水田遺跡

日本の稲作は、朝鮮半島から伝わった説は否定されている。
稲のプラントオパールとか、DNA分析の結果からも、また、朝鮮半島に水田遺跡ができた時代が、日本よりも新しいことなどから、明らか。

日本で稲作、特に水田が始まったのは、どの時代からか?
今回発掘された遺跡は、かなりびっくり。

産経新聞引用

弥生前期の水田跡、国内最大規模に 奈良・中西遺跡

2011.11.8 18:34

 奈良県御所市條(じょう)の中西遺跡で、弥生時代前期(約2400年前)の水田跡約9千平方メートルが出土し、県立橿原考古学研究所(橿考研)が 8日、発表した。過去の調査と合わせ、周辺の水田跡は計約2万平方メートル以上に達し、同時期の水田跡としては国内最大規模となる。橿考研は「当初から広 大な平地を選び整然と開墾した弥生人の計画性が伝わる貴重な発見」としている。

 今回の調査で、3×4メートルを標準サイズに整然と区画さ れた水田跡約850枚が見つかった。橿考研の平成21、22年の調査で同遺跡からは水田跡約7400平方メートルが出土。北側に隣接する秋津遺跡からも同 時期の水田跡約4千平方メートルを確認しており、今回の水田跡を含めると計約2万400平方メートルとなる。

 このため、弥生時代前期の水田跡としては最大級とされる服部遺跡(滋賀県守山市)の約1万8700平方メートルと、池島・福(ふく)万(まん)寺(じ)遺跡(大阪府東大阪、八尾両市)の約1万8千平方メートルを超える規模となった。

 橿考研によると、中西遺跡周辺は、弥生時代前期の大洪水で0.5~1.5メートルの土砂に埋まり、当時の水田がそのまま保存されたと考えられるという。

 大阪府文化財センターの江浦洋調査課長は「水田エリアは時代をまたいで継続的に開墾されるため、水田跡が広大な範囲で出土するのは珍しい」としている。

 現地説明会は12日午前10時から。JR和歌山線玉手駅から南西徒歩約20分。問い合わせは橿考研((電)0744・24・1101)。

弥生前期の大規模水田遺跡とは、すごい。

この時代に、水田がこれほど大規模に作られているとしたら、都市国家のようなものもあって当然ではないだろうか。

古代史は、いったいどうなってるのだろうか。

すごい。。。


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コメント

これは極めて貴重な発見です。

プラントオパールが見つかって、温帯ジャポニカ主体なのか熱帯ジャポニカの割合が高いのか、がわかるとなお良いですね。

朝鮮半島から水田農法が伝わったのではない、というのは私も同意見です。
日本で水田農法が盛んになった頃は半島にロクな文明もなかった時代ですし、中国(漢など)から食文化が伝わったにしても、粉食文化でしたから(南の長江等で食べられていた米は)野蛮人の食べ物として扱われていたと思います。

こういう事をみると、生産力の面からも日本が半島の一部を支配していたという事が事実のように思えます。

それにこれだけのシロモノを管理するためには何らかの文字のようなものが必要だと思うのですが--。
漢字が半島から伝えられたというのも眉唾ですね。

投稿: みやとん | 2012.01.22 22:21

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