カテゴリー「ヒストリーチャンネル」の6件の記事

ヒストリーチャンネルの北朝鮮関係と軍事技術の新番組

10月14日だけ、放送した番組。

偶然見てびっくり。
北朝鮮問題をいろいろな角度から分析している。

北朝鮮が核兵器を持ち、ロシアや、中国が後ろ盾になっている現状では、打つ手がないという結論。
いろいろなケース、斬首作戦や、爆撃作戦も含めて、検討していた。

北朝鮮とトランプ大統領の会談は、このような背景から見ると、どうなのだろうか?

もう一つ、新番組で、脅威の巨大爆弾というのがあった。これもすごかった。
軍事技術の新時代という副題が付いている。

2017年4月13日の日没直後、近代の戦争は永遠に変わった。アメリカが史上最大の非核兵器を戦闘で使用したのだ。。The mother of all bomb「すべての爆弾の母」だ。もlはや軍拡競争の主点は核開発ではなくなった。

というナレーションから始まる。
そして、ロシアは、なんと、「すべての爆弾の父」を作ってしまい、中国は超音速のICBMを所有しているという。

通常兵器の威力が核兵器に追いついてきたという。

大きさよりスピードや命中精度がものを言う。次の世界戦争の主役はSF世界波のハイテク兵器だ。宇宙空間での闘に備えている。ドローンの大群が押し寄せる。超強力兵器が飛び交う未来はそう遠くない。

GBU-43大規模爆風爆弾という爆弾が、ISの地下施設を爆破した。
総重量10トン。一瞬で脳が破壊され、死に至る。90名以上のIS戦闘員がカンダハル州の拠点で何週間も交戦していたが、全員死亡した。

もしシアトルなどで爆発したら、3ブロックにわたり、屋外にいる人々が死亡する。衝撃波が音速なみの速さで街路を通り抜ける。破壊しながら。
爆心の10メートル以内の人は灰になる。
50メートル以内の人は窒息死する。
120メートル以内の人はひどいやけどを負う。
むごたらしいものとなる、「すべての爆弾の母」MOABが投下された5ヵ月後、ロシアがシリアで燃料気化爆弾ATBIPを投下したという噂がSNSで流れた。「すべての爆弾の父」FOABだ。MOABの4倍の威力。TNT換算で44トン。爆風はより高温で破壊範囲は2倍になる。サイズはより小さく、重量は2.7トンも軽い。なぜなら、酸素を奪う爆発性の燃料がつまっているだけだからだ。サーモバリック爆弾または、燃料気化爆弾。

イランの地下100メートルにとても堅固な核施設があるそうだ。今は制限されているが、10から15年後は、作れるかの旺盛がある。イラン軍はとても優秀だ。アメリカ空軍には、大型貫通爆弾MOPがある。従来型の爆弾では最大でMOABよりも4トン重い。地中を貫通する。

宇宙空間を利用する兵器もいろいろある、【神の杖】は運動エネルギーだけで、衛星から発射される。まだ架空の兵器だ。
2017年ジェラルドフォード世界最強の空母をアメリカは就航させた。
時速8000キロの運動エネルギーに爆発性の弾頭が付いた極超音速兵器は、中国にある。DF-21D、空母キラー。
中国は強みを弱みに変えてやるといっている。空母を無力化してやる。と。
兵器の重要性は、大きさと、正確さ、そしてスピード。空母キラーにはそのすべてが備わる。超音速。音速の5倍(時速6120キロ)。10倍もありえる。
極超音速ミサイルは戦争に変革をもたらす。戦闘前に決着がつくからだ。速すぎる攻撃には防衛手段もない。詳細は不明だが、中国に、その能力はある。ブースト滑空の技術。ロケットと重力を使う方法。アメリカも開発を進めている。
レーザー兵器も配備されている。

ドローンの大群の兵器。

サイバー空間の脅威もある。

というわけで、びっくりして恐ろしくなったので、一人だけでびびってるのもいやなので、アップしました。

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ヒストリーチャンネルの古代文明の番組

テルカラメルとか、テルハモンカルとか、ギョペクリペペなどの、古代文明の遺跡が、続々発見されているという。

これらは、最古とされていたジェリコの遺跡よりも、2000年も古いという。

訂正します。ギョペクリペペではなく、ギョベクリ・テぺ遺跡でした。2016/05


別々の場所に、独立して、いろいろな文明が発達したらしい。

ヴァルナという遺跡も、ヨーロッパ最古の文明らしい。

4大文明などは、もう最古とはいえないらしい。

黄金の装飾品を少数の人だけが身につけていたということは、階級が存在するような社会だったということだそうだ。

原始文明は、共同社会のような形だと思われていたが、すでに、社会的な構造ができていたのだ。

すごい。。

アトランティスの話を、私は、夢物語と、夫に言われながら、信じていた。
というのは、ヨーロッパの伝承や、神話、物語に、失われた古代文明のことが、たびたび登場する。

ヨーロッパの人にとっては、失われた古代文明があったのは、当たり前。

クレタ文明を発掘したシュリーマンは、その下にミケーネ文明があって驚いた。

人類の祖先も、現生人類は、ネアンデルタール人などとも、交雑していたらしい。

ネアンデルタール人は、身体能力が高く、屈強な体格だったが、絶滅したとされている。

遺伝子が、現生人類に受け継がれているらしい。

ネアンデルタール人の遺伝子を持っている人が、身体能力が高いのかもしれない。

考古学って、本当に面白いというか。

文明が、津波や噴火、小惑星などで、何度も滅び、その生き残りが、また文明を作ってきたのだそうだ。

すごい!!

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ヒストリーチャンネル「海と日本」

ヒストリーチャンネルで、海と日本というシリーズをやっています。
先日は、千石船の話ですごく面白かったです。

今日は、台湾のことがテーマでした。
日本が台湾統治した時代に、今の繁栄の基礎ができたそうです。

中国から蒋介石が来て、何十万人を虐殺したそうです。
蒋介石って、上海でも、トゲツショウと組んで、共産党員を大勢殺したそうですが、台湾に行っても、そんなことをしたんですね。
蒋介石の奥さんが「宋家の三姉妹」で有名で、映画もちょこっと見ましたが、そんな人物だったんですね。


台湾出身で、日本で活躍している女性ジャーナリストがいろいろ解説していました。

日本のことを台湾人は、恨むどころか感謝しているそうです。

先日、日本デビューとかいうNHKのシリーズは、台湾人が日本を恨んでいるという内容で、台湾人が憤慨したという話を読みました。

李登輝総統は、世界でも有数の立派な指導者だそうです。

総統選挙を実施する仕組みを作ったそうです。

台湾に来てください、と、いっていましたが、私は、暑いところは嫌いなので、いきたいとは思いません。

インドネシアに行っていたことがある人に聞きましたが、ゴキブリがすごいそうです。

洗濯機などに、びっちりついているそうです。

しかも、大きいとか。

世界で一番おいしいのは、私の作った中国料理と、登場した人が言っていましたが。。
昔、私は、世界で一番おいしいのは中国料理と聞いて、へえそうなんだ、と思っていました。

しかし、子供のころから、近くにある横浜中華街などへ、食べに行ったのですが、好きなメニューが、ほとんど決まっていて、チャーハン、五目やきそば、酢豚など、ワンパターンになってしまっていて、しかも、味付けが大体同じなので、今は、飽きてしまっています。

カロリーも高いので、カロリー計算をしていたころから、食べなくなりました。

たまに食べると、安いときはまずいし、高いときは、高すぎで、損した感じになります。
麺類は、もともと焼きそば以外、中華料理のつゆそばは、好きではありません。

フランス料理もカロリーが高いのですが、めったに食べないので、飽きていません。

お食事会などで、フランス料理のときは、食べます。

そんなに中華料理っておいしいかな?と、思います。

トムヤンクンは、世界三大スープの一つだそうですが、タイ料理やベトナム料理のほうが好きです。

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ヒストリーチャンネル「世界の組織犯罪『中国』」のメモ

武侠ドラマ「ろくてい記」に、天地会が出てくる。

実際に、天地会はあったらしい。

ホン・シャオミンの人気ドラマ「上海グランド」で、上海に親しみを感じていたけれども、怖くなった。

もしかしたら、「上海グランド」は、杜月笙(トゲツショウ)の時代の話かもしれない。

世界の組織犯罪「中国」

上海のうらぶれた路地。
「ありとあらゆる悪がはびこっていました」

海外のチャイナタウン。
「中国系ギャングの殺し合いが後を絶ちません」

中国の犯罪組織は長い歴史を持ち、その起源は神話となっている。

「中国のギャング達は、自分たちを古代の英雄になぞらえています」

恐怖に満ちた組織。
「彼を邪魔した者は、体中の腱がずたずたにされたと言われています」

彼らの目的はただ一つ。
「あくなきまでの金儲けです」

1999年12月17日香港。
中国福建省出身の中国人12人が、船のコンテナに乗り込もうとしていた。
彼らを率いているのは、中国人を海外に密入国させている蛇頭と呼ばれる犯罪組織だった。蛇頭は法外な報酬と引き替えに、中国人達をアメリカ行きの船に乗せていた。密航者達は、幅3メートル長さ12メートルの暗いコンテナに押し込まれる。

アメリカ入国帰化局の捜査官パット・シュミットの話から聞こう。
「密航者達はこの船旅がどんなにつらいものになるか、気にもとめていなかったでしょう。アメリカにたどり着くことだけを考え、そのためなら、どんな危険をも冒そうとしていたのです」

密航者全員がコンテナに乗り込み、ドアが閉められた。コンテナの天井は荒い布製だったので、酸欠になる心配はなかった。西海岸ワシントン州シアトルに到着したら、天井を切り裂いて抜け出すことになっていた。外部との連絡は携帯電話だけ。到着後、シアトルにいる蛇頭のメンバーに連絡するためのものだった。
携帯必需品はごくわずかだった。
「コンテナに持ち込まれたものは、水にクラッカーなどの食料、そして排泄するための入れ物でした」
そのコンテナは、日本の船会社のものだった。翌日コンテナは、OOCLフェイス号に積み込まれた。中身は編み物用の機械とされていた。問題のコンテナの上に、さらに8個のコンテナが積み上げられた。

2週間にわたる9600キロの悲惨な船旅が始まった。

ドン・ディーノはアメリカ連邦刑事補である。
「アメリカに着くまで、また着いてからも何が起こるか分かりません。しかし、彼らはもう引き返せないのです」

中国系ギャングの犯罪について、FBI捜査官キングマン・ウォンはこう語る。
「不法入国は、彼らの犯罪のほんの一部に過ぎません。彼らは犯罪の総合商社です。暗殺、誘拐、ゆすり、高利貸し、マネーロンダリング、横領、ハイテク犯罪、金になるなら、どんなことでもするのです」

だが、この20年間、特に顕著なのは、不法入国である。その背後に、世界中に張られた蛇頭のネットワークが存在する。

入国帰化局捜査官ジム・ゴールドマンはこう指摘する。
「現在、アメリカでは、国境や空港、あらゆる場所で、不法入国が頻繁に行われています」
その中で最も多いのが、先ほどの例と同じ、中国福建省からの不法入国者である。何世紀も前から、福建省の人々はよりよい生活を求めて、海外に渡っていた。特に今日では、アメリカが彼らにとって宝の山であり、福建省にいるよりも10倍の収入を得ることが出来る。

「アメリカでの収入がどんなに低くても、また労働条件がどんなにひどくても、福建省で働くよりは、高収入で、ずっと恵まれています」

新しい生活の場を得た不法入国者達は、稼いだお金を故郷に送ることが出来た。しかし代償も大きかった。蛇頭に莫大な報酬を払わなければならないからである。

「一人当たり約4万ドルで、20人から40人を不法入国させる。莫大な利益になります」

息子一人をアメリカに渡らせるために、中国人の家族たちは、必死に金をかき集め、それを蛇頭に支払う。それでも足りないため、アメリカに渡った息子は、故郷に送金するよりも、蛇頭への報酬を優先して支払うことになる。そして、たいていは蛇頭のいいなりになって、レストランや工場で、過酷な強制労働を強いられることになる。

「不法入国者達は、恐喝や誘拐、時には、生死に関わる犯罪にまで手を貸すようになります。不法入国するということは、犯罪活動に巻き込まれるということなのです」

それにもかかわらず、OOCL号に乗り込んだ12人の中国人達は、自ら進んで、この運命を受け入れた。

「彼らは危険を承知の上で、自らの人生をアメリカにかけていたのです」

しかし、出航12日後、事態は急変した。12月29日、コンテナの製造元である日本の船会社が、編み機が入っているはずのコンテナに中国人の不法入国者がいることを知ったからである。船はすでに、ロサンゼルスの近くにまで来ていた。船会社はアメリカの入国帰化局に連絡した。

「三つの船にその会社のコンテナが積まれていました」

そのうちの一つが、OOCLフェイス号だった。2000年1月2日午前6時30分、OOCLがシアトルに入港。入国帰化局と関税局が、密かにそれを待ち受けていた。2時間後、コンテナが船から降ろされ、100メートル離れた場所に移された。関税局の捜査官が防護マスクをつけて、慎重にコンテナの鍵を壊した。
「中にいる中国人が、どんな様子か分かりません。伝染病にかかっているかもしれないし、武装しているかもしれないのです」

ドアを開けると、腐った生ゴミと排泄物の悪臭が一気に流れ出た。通訳者が中国語で、外に出ろと、叫んだ。(映像でその一部始終が見られる)

「コンテナの中のあまりにひどい状態に言葉を失いました。お金のために、同じ人間をこんな状態におとしめることが出来るなんて、私にはとても理解できませ」

12人の中国人は全員無事だった。しかし、9600キロの旅の終わりは、彼らの希望を打ち砕いた。全員が不法入国者として、入国帰化局に保護され、収容された。
同じ週に不法入国者を乗せて、シアトルに着いた船が他にも3隻あった。入国帰化局はこれらに関わった3人の蛇頭メンバーを逮捕した。そのうち二人が後に有罪を認め、実刑2年の判決を受けた。
しかし、一部の蛇頭メンバーを捕まえても、組織としての活動にダメージを与えることは出来ない。

「中国の組織犯罪は、まるでインフルエンザのウィルスです。メンバーをしょっちゅう変え、様々なグループができあがる。そのために、捜査も難しくなってしまうのです」

現在、中国の組織犯罪は世界中に何百もの組織が存在する。しかし、その起源はある特定の組織にさかのぼることが出来る。それは、今なお謎に満ちたトライアッドと呼ばれる組織である。

現在存在する何百組もの犯罪組織。それらすべての起源は数百年前に誕生した天地会と呼ばれる秘密結社にさかのぼる。欧米では、トライアッドと呼ばれる組織である。その誕生については、今も議論が交わされている。

最も一般的な説によれば、トライアッドは1671年、清の時代、福建省にあった福建少林寺から始まった。

そこでは、仏教僧が世俗から離れて質素な生活を送っていた。彼らの修行は、瞑想と、後にカンフーと呼ばれる武術の訓練だった。そのころ、異民族が首都北京まで押し寄せてきていた。歴史家のダイアン・マレーに解説してもらおう。

「これは、大事件でした。清の皇帝軍だけでは対処できず、皇帝は人民にも兵力を求めたのです」

愛国心に満ちた少林寺の仏教僧たちがそれに応えた。彼らは一人の犠牲者も出さずに、敵を撃退した。皇帝が褒美を授けようとしたが、彼らは断り、再び元の生活に戻った。

だが事態はそれで終わらなかった、と、歴史家のデビット・オウンビーは言う。
「皇帝の側近達が、仏教僧たちの強さを警戒し、危険であると皇帝に忠告したのです」
満州族出身で、漢民族ではなかった皇帝は、すぐに警戒感を強めた。

「福建少林寺に皇帝の使いが訪れ、宴会が開かれました。僧侶達は、酒を飲まされ、ひどく酔ってしまい、そのすきに、火が放たれたのです」

寺は炎に包まれ、ほとんどの僧侶達が焼死した。しかし、5人の僧侶達がそこから逃げ出した。川岸で休んでいると、香を焚く香炉が流れてきた。その香炉には、清を滅ぼし、明の復興をめざす「反清復明」の文字が書いてあった。
「それを見た5人の僧侶は、これこそ自分たちに課せられた天命だと悟ったのです」

自分たちを裏切った今の皇帝を排除し、かつての漢民族による明王朝を復活させる、それが彼らの使命となった。5人は、秘密結社トライアッドを結成した。そしてその思想は国中に広まっていった。この話によって、何世紀もの間、トライアッドは神秘的に見られてきた。

しかし、歴史家達は、ただの伝説にしか過ぎないと主張している。トライアッドの誕生に崇高な目的など無いというのである。

「中国のギャング達は、自分たちを古代の英雄になぞらえます。そして犯罪活動を美化するのです。しかし、彼らにまつわる神話はすべてでたらめです」

多くの学者によれば、実際のトライアッドは1700年代に福建省で始まった。当時不安定な経済社会の中で、若者達は、仕事を求めて、さまよっていた。その頃、福建省は、治安が悪く、大変危険な地域だった。
「1700年代の福建省は、非常に荒廃していました。傷害、恐喝、強盗、詐欺、殺人など様々な犯罪が横行していたのです」
若者達は、自衛のために互助会を結成した。メンバーは忠誠を誓い合い、強い絆で結ばれていた。
「誰かに騙されそうになったら、彼らは、もし俺を騙したら、仲間がお前を殺すぞ、と言って相手を脅すのです」

やがて、彼ら自身が犯罪を犯すようになっていった。
「もともと、そのような組織を必要とした人たちは、社会の底辺にいる屈折した人たちだったのです」

1761年、旅をしていた僧侶の一団が、この寺で秘密結社を結成したという。彼らは、その組織を天地会と呼んだ。古代中国から伝わる宇宙観、すなわち天地人から名付けられた名前だった。この三つを表現するため、天地会は正三角形の紋章を作った。欧米で呼ばれるトライアッドとは、三つ組みという意味である。天地会は福建省全体に勢力を伸ばしていった。

「天地会には、ゴッドファーザーや教祖と呼ばれるような頂点に立つ中心人物がいませんでした。自然発生的に、小さな分派があちこちにできあがっていったのです」

入会者には入会の儀式が行われ、その形式は、現在でも受け継がれている。
まず、会に入ることを表現するため、入会者は交差させた剣の下を通り抜ける。そして、生け贄の動物から血を採り、そこに、ワインと香の灰を混ぜる。入会者も指を切って、自分の血をそこに混ぜ合わせる。そして、永遠の誓いを立て、それを飲むのである。

最初の数十年、天地会は政府の監視の目をうまく逃れていた。しかし、1787年、皇帝がその存在に気づいた。福建少林寺の伝説と同じように、皇帝は天地会を清王朝の支配を揺るがす危険な集団と見なした。
「皇帝は、天地会への迫害を始めました。家を一軒一軒回り、天地会のメンバーと思われる人物を捜し出そうとしたのです」
だが、皇帝の思惑は失敗した。
「迫害を受ければ受けるほど、逆に天地会の勢力は広がっていったのです」
メンバー達は、迫害を逃れ、中国全土に分散し、同時に犯罪行為も広まった。

皇帝による弾圧の失敗が、天地会を中国で最も悪名高い犯罪組織に変えてしまった。
その後、天地会は東南アジアで勢力を伸ばし、アメリカへと進出するのである。
彼らの犯罪は、麻薬取引、売春、賭博など多岐にわたった。
そして、天地会を模倣した犯罪組織がいくつも誕生した。その中の一つが、アヘンの取引を支配するようになり、そしてその舞台が、世界で最も退廃的な都市、上海だった。

1900年代初め、上海は世界で最も国際的な、そして最も堕落した都市だった。

ジャーナリストのステラ・ドンはこう指摘する。
「上海は東洋と西洋の世界が混じり合い、暴力的でありとあらゆる悪がはびこっていました」
上海は、イギリス租界、フランス租界、中国人居住区の三つの地域に分けられていた。

歴史家のウェイクマンはこう解説する。
「警察権もそれぞれ異なっていたため、犯罪を犯しても、他の地域に逃げ込めば、捕まることがなかったのです」

やがて一組のギャングが犯罪社会を支配するようになる。そしてその中のあるメンバーが裏社会のボスとして、頭角を現した。1700年代の終わり、天地会から、様々な秘密結社が誕生した。
その中で最も大きかったのが、青幇と呼ばれる組織だった。もともと青幇は浙江省、広州と北京と結ぶ大運河を舞台に、船で物を運ぶ運送業者の自衛的な集団だった。しかし、汽船の普及によって、彼らは職を失った。
「彼らは、上海に行き、初めはまじめに働こうとしたのですが、すぐに犯罪社会に足を踏み入れてしまったのです」
運送業者としての経験を生かし、彼らは、アヘンの取引で成功を収めた。
「アヘン取引は上海で最も大きなビジネスでした。アヘンの取引を成功させるために、武装強盗、売春、賭博、高利貸しなど、様々な犯罪が付随して起こっていたのです」

1920年代半ば、青幇は上海の3つの地域すべてを支配していた。アル・カポネがシカゴでやったように、青幇が上海を仕切っていた。
「青幇は、驚くほど短期間のうちに、従来の誓いを重んじる組織から、世界で最も力のある犯罪組織に変わってしまったのです」
その中の中心人物であり、アル・カポネよりも影響力があると言われた男、それがトゲツショウである。
トゲツショウは、上海コトウ地区の貧しい農村部で孤児として育ち、無学のまま、14歳の時、町に出た。昼間はクリーニング店や、果物の皮むきなどをして働き、夜はアヘンをすったり、賭博をして、悪の世界に浸っていた。

「アウトローのトゲツショウにとって、上海は理想的な都市だったんです」
1910年頃、トゲツショウは青幇のメンバーに加わった。そして、すぐにフランス租界を支配する大物ボス、コウキンエイの後ろ盾を得て、頭角を現し、トゲツショウの名前は知れ渡っていた。コウキンエイは、上海の暗黒街で最も恐れられる人物だった。しかし、同時に、彼はフランス租界の警察で要職に就いていたのである。

「コウキンエイは、警察官という立場と、暗黒街のボスという立場を巧みに使い分け、フランス租界を支配していきました。つまり、犯罪者が警察を乗っ取っていたのです」

トゲツショウは、コウキンエイに取り入り、コウの右腕になっていた。だがトゲツショウはそれでは満足しなかった。もっと大きなチャンスが来るのを待っていた。1924年コウキンエイが致命的な失敗を犯し、トゲツショウにチャンスが訪れた。それは、夜の京劇から始まった。
「コウキンエイは、自分の劇場を持ち、お気に入りの京劇女優を出演させていました。自分専用の席があって、週に、2、3回はその女優の公演を見に行っていたのです」

その夜、ある軍閥の将軍の息子が公演を見に来ていた。公演が終わると、その男は、コウキンエイがひいきにしていた女優を大声でやじった。激怒したコウキンエイは、ボディガードに男を懲らしめるよう命じた。男は徹底的に殴られた。それは限度を超えていた。軍閥は有力者達の集まりだった。1911年の辛亥革命で、清王朝が倒れて以来、軍閥は各地で勢力を強めていた。劇場での事件の2日後、コウキンエイは、軍閥の将軍に拉致され監禁された。

「コウキンエイにとって、大変屈辱的な出来事でした。フランス租界で最も力のある人物が面目を失ってしまったのです」

この事態に、コウキンエイの部下達はすっかり慌てました。その様子について、ある資料には、ストーブの熱さに右往左往するありのようだと書かれています」
だがトゲツショウだけは落ち着いていた。
「コウキンエイに取って代われるチャンスだと思ったのです」
トゲツショウは、金でコウキンエイを解放させた。

「コウキンエイはトゲツショウに感謝せざるを得ませんでした。そしてそれ以降、実質的に、トゲツショウが上海のボスとなったのです」

だが、トゲツショウの計画はこれで終わらなかった。軍閥の将軍にアヘン運搬の警護に軍隊を使うことを承諾させた。こうしてトゲツショウは、上海で最も金になる商売を手中に収め、さらには、ある人物と手を結び、その地位を確かなものにした。

1923年、中国国民党は、軍閥打倒のため、中国共産党と協力することを宣言した。そして、北方の軍閥を倒す北伐を行い、上海を占領したが、その協力態勢は危ういものだった。
 北伐を行った国民革命軍の総司令官、蒋介石は、共産党が上海を支配することを警戒した。1927年、蒋介石は、密かに、上海の暗黒街のボス、トゲツショウに接触した。そして、ともに共産党を倒すよう青幇に協力を求め、上海の中国人居住区での大規模な攻撃作戦をたてた。トゲツショウはそれに応じた。

「もし、共産党が上海を支配すれば、アヘンの商売が危うくなると思ったのです」
1927年4月12日、午前4時、耳をつんざく笛の音が、夜明け前の静けさを打ち破った。これを合図に、何千人もの青幇のメンバーが上海中国人地区になだれ込み、共産党員に襲いかかった。これがいわゆる白色テロである。
「トゲツショウの部下が、共産党員を銃剣で刺し、発砲しました。頭がスモモのように転がって、どぶに落ちたという証言もあります」

虐殺は数時間続き、5千人の人々が殺された。上海の支配は蒋介石の手に渡り、トゲツショウは報酬を得た。

1927年4月、トゲツショウは後に白色テロと呼ばれるようになる大虐殺を企てた。何千人もの共産党員が殺され、蒋介石の国民党員が上海の実権を握った。トゲツショウには、報酬として、将軍の地位が与えられた。社会的地位はトゲツショウが最も手にしたいと思っていた物だった。
「トゲツショウは他の者から尊敬される立場になり、犯罪界だけでなく、政界にも口を出すようになったのです」

無学のギャングが上海の紳士まで上りつめた。トゲツショウは学者を雇って、自らをたたえる本を書かせた。また慈善団体に寄付をし、1931年には、中国の名士の一人に並んだ。他にも、トゲツショウは、5つの銀行、大学、商工会議所の重役を務め、上海のめまぐるしい上流社会を渡り歩いていった。

「社会の最底辺にいた男が、上海を代表する人物にまでなったのです。ナイトクラブに行くたびに、彼は注目の的でした」

しかし、トゲツショウは、悪を断ち切ることは出来なかった。
「彼は、中国のアルジャー、つまり出世に成功した人と言われますが、中国のアル・カポネと言った方が正しいのです」

依然として、トゲツショウは、フランス租界を基盤にして、上海の暗黒街を仕切っていた。逆らう者は、手荒い報復を覚悟しなければならなかった。
「邪魔する者は、からだ中の腱がずたずたにされたと言われています」

蒋介石はトゲツショウとその部下を資金集めの道具として利用した。裕福な上海市民は、中国人地区以外に住んでいたので、国民党は直接手が出せず、青幇の力に頼っていた。
「フランス租界の銀行家を誘拐したり、殺したりできたは、青幇だけでした。青幇は資本主義を脅かす道具になったのです」

国民党とのつながりは、トゲツショウにも利益をもたらした。国民党は、アヘン取り締まり局の局長にトゲツショウを任命し、不正に取引されたアヘンを没収しては、再びトゲツショウの手に渡していた。トゲツショウはすでに上海でのアヘン取引を独占していたが、それだけではなく、国民党が押収した他の麻薬も扱うようになっていった。
「警察に保管されていたコカインが持ち出され、再び路上で売買されるのです」

1930年代まで、トゲツショウの上海での力は揺るぎないものに見えた。中国最大の暗黒街のボスであり、上海で最も影響力の強い人物だった。だが、やがてその犯罪帝国が崩壊するときがやってくる。

1937年、中国と日本のに中戦争が勃発した。8月13日、上海で日中両軍が衝突、日本の攻撃を逃れるため、中国人地区から、多くの避難民が租界地域に逃げ込んだ。トゲツショウは、青幇のメンバーを集結させた。トゲツショウは、中国軍の最前線にたち、あるいは、ゲリラ隊を組み、日本軍と戦った。だが3ヶ月後、ついに上海は日本軍に制圧された。トゲツショウは、他の都市のボスと共に、貨物船に乗り込み、香港へと逃げた。これをきっかけに、中国の暗黒街は一変する。

1945年9月、第二世界大戦が終結して一ヶ月後、トゲツショウは、8年ぶりに、上海へ戻った。帰れば、上海の人々から歓迎されると期待したが、そうはならなかった。

「人々は、上海に戻ったトゲツショウをあざ笑いました。おそらく。自分たちを捨てて、さっさと香港に逃げたトゲツショウを軽蔑していたのでしょう」

1949年4月、毛沢東率いる中国共産党が実権を握ると、トゲツショウは、上海を離れた。力を失ったトゲツショウは、長年のアヘンの吸引が元で、健康をも害していた。2年後、彼は香港で死亡する。63歳だった。哀れな死ではあだったが、彼の伝説は生き残っている。
「トゲツショウの生き方は、退廃的な上海を象徴していました」

青幇の上海支配は終わりを告げたが、中国の犯罪組織はなくならなかった。

その勢力は中国大陸を離れ、何百もの組織が、海外で活躍するようになた。特にアメリカ、ニューヨークのチャイナタウンは、中国犯罪組織の温床となっていった。その中で、トップの座を狙う、一人の凶悪な若者がいた。1977年ニューヨーク、チャイナタウンのモットストリートでは、ギャング間に抗争のあらしが吹き荒れていた。
「中国系ギャングの殺し合いが後を絶ちませんでした」

その中心人物は、若い男だった。
「ニッキー・ルイという若者で、モット・ストリートの顔でした」身長170センチ、体重55キロ。暗黒街の顔役にしては、ニッキーは小柄な男だった。だが、彼はチャイナタウンで最も恐ろしい人物になるほどのカリスマ性を備えていた。

1960年代後半、ニッキーは10代でアメリカにやってきた。
それまで目立たなかったチャイナタウンに、中国からの移民が押しよせた時期だった。ネイルは当時ニューヨーク市警察にいた。
「ニューヨークのチャイナタウンでは、移民達は充分満足に暮らせました。英語が話せなくてもです」

1882年に、アメリカで中国人移民を制限する法律が制定されて以来、アメリカでの中国人人口は安定していた。だが、1965年から、政府は一転して、毎年2万人の中国人移民を受け入れるようになった。

大勢の中国人がチャイナタウンに押しよせた。その多くが貧しい若者であり、英語が話せなかった。

ジョン・フィーファンは麻薬取り締まり局の元捜査官である。
「彼らは仕事にあぶれ、通りをぶらついては、衝突するようになったのです」
やがて、ストリートギャングが生まれ、フライングドラゴンズ、ホワイトイーグルスなどの名前がつけられた。ジャーナリストのマイク・ヤコブソンはこう解説する。

「大きな変化が起きつつありました。武器を持った危険なギャング達のいいなりに鳴らないと、生活できなくなってしまったのです」
ミッキーも、ゴーストシャドウズの一員となり、その残虐さと狡猾さで、リーダーに上り詰めた。

「通りに出れば、30人のゴーストシャドウズのメンバーがうろついていました。その中で、ひときわ目立っていたのが、リーダーのニッキーでした」
「みんなニッキーがどんな服を着て、どんな歩き方をして、どんな口調で人を脅すか、よく知っていました」

ニッキーがリーダーになると、ゴーストシャドウズの犯罪も、小さな窃盗から武装強盗、恐喝にまでエスカレートしていき、繁華街の店を狙うようになった。
「ゆすりの手口として、まず店に男を連れて行き、仕事をくれるよう頼みます。男は最初の一、二度働いて、あとは姿を消す。でも仲介者は、その後も無理に給料を出させるのです」

ニッキーは更に大きな野心をいだいていた。それはチャイナタウン全体の支配権だった。その実現のために、ニッキーは、トンと呼ばれるチャイナタウンを仕切っていた秘密結社に近付いた。
トンは、1860年代、中国人移民の労働者を守る共済会として結成された。
様々なトンが銀行、市庁舎、社交クラブなどを管理し、チャイナタウンの中心的役割を担うようになった。だがやがて、トンは堕落していく。
「次第に、売春や賭博、アヘンの店を経営しだし、犯罪組織に様変わりしたトンが出てきたのです」

20世紀になり、チャイナタウンのモットストリートで主に麻薬取引をとり仕切っていたトンがアルルントンだった。1970年代初頭、ギャング同士の抗争が激化し、賭博業に支障を来すようになったアルルントンは、ホワイトイーグルスのメンバーを護衛として雇うようになった。その結果、ニッキーのゴーストシャドウズは、チャイナタウンの片隅に追いやられてしまった。だがニッキーはあきらめなかった。

1973年3月3日夜、モットストリート。
ニッキーの部下達が、一人でいるホワイトイーグルスのアーサーハーを発見した。一味はアーサーに銃をつきつけ、車に押し込み、イーストリバーの桟橋まで連れて行った。そこで、アーサーを縛り上げ、川に突き落とした。数週間後、アーサーの死体が発見された。チャイナタウンに衝撃が走った。

「この事がきっかけで、ホワイトイーグルスの威信が弱まったのです」
アルルントンはゴーストシャドウズを護衛に雇った。モットストリートは、ニッキーの支配となった。しかし同時に、今度は狙われる立場になった。何度も銃撃にあい、夜寝返りを打ったところに、銃弾が撃ち込まれたという話も聞かれた。だがニッキーは不死身だった。そしてそれは神話になった。

あるとき、胸を撃たれて重傷のニッキーと、ニューヨーク市警の刑事との間で、次のようなやりとりがあった。
「刑事は、ニッキーに誰にやられたと聞きました。ニッキーは、質問の主が刑事だと知ると、重症にもかかわらず、その刑事に侮蔑の言葉を吐いたのです」

彼の敵は、ライバルのギャングだけではなかった。
「ゴーストシャドウズのメンバーの間で、金を儲ける者と、そうでない者との格差が広がり、分裂が生じていたのです」

1978年8月28日夜、ニッキーはモットストリートの理髪店で、麻雀賭博をしていた。突然、ゴーストシャドウズのメンバー、ロバートシュー、通称ポテトが銃を取り出し、ニッキーの頭に発砲した。だが、致命傷には至らなかった。
「ニッキーはとっさに理髪店の椅子の影に隠れました。再び銃の引き金の音がしましたが、それは不発でした。その隙にニッキーは外に逃げたのです。カナルストリート、エリザベスストリートを走り、ある建物に入り、撃たれたと言いました。彼には、もう誰が敵なのか分からなかったことでしょう」

二日後、ニッキーは病院で目を覚ました。周りには警官と、検察官が立っていた。ニッキーは自分を撃った犯人について証言することに同意した。だが、それはニッキー自身のこれまでの犯罪を明らかにすることでもあった。この時の証言を元に、7年後の1985年、連邦検察局は、ニッキーとその仲間24人を組織犯罪の罪で告発した。
「ニッキーには致命的でした。7年前の自分の証言が、有罪を認めているのですから」

1986年8月、ニッキーは懲役15年の判決を受けた。
ゴーストシャドウズは衰退し、チャイナタウンの暗黒街に変化が訪れた。
「チャイナタウンのどの通りを、誰が支配し、どんなビジネスを牛耳っているのか、まったくわからなくなりました。明確な組織図が無くなってしまったのです。今では、中国人がただ寄せ集まって犯罪を起こしている状態です」

天地会が誕生して200年以上、中国の犯罪組織は、脈々と繁栄し続けてきた。だがその神話も崩れつつある。今日、アメリカでの中国犯罪組織は、利益のためなら、誰とでも手を組む、とらえどころのない存在になっている。その犯罪は、ヘロインの密輸から、不正入国まで、中国人というコミュニティの枠を越えて、拡大してきている。

「彼らは、金儲けのためなら、徹底的に不正行為を行います。それがアメリカの安全を脅かす重大な要因になっています」

「彼らの犯罪を暴くのは、困難です。一つずつ、丹念に取り組むしかありません。たくさんの鏡と煙に惑わされ、中国犯罪組織の本質は、不可解な存在なのです」





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今週見たドキュメンタリーすごかった!!

今週の土日には、いろいろなドキュメンタリーを見た。

宇宙の歴史とか、戦争の話。

「数千億の銀河」というのが、すごく面白かった。

ハッブル宇宙望遠鏡という宇宙空間に浮かんでいる望遠鏡で見ると、地球から見るよりもはるかに鮮明な画像が撮影できる。

たとえば、ソンブレロ銀河というのは、ものすごく大きな銀河で、可視光線、X線、赤外線の画像を撮影すると、それぞれ色が違っている。

地球のある天の川銀河に一番近いのは、M32銀河で、アンドロメダ銀河。

天の川銀河とアンドロメダ銀河は、大きな銀河で、ほぼ同じくらいの大きさ。

その周りに、矮小銀河と呼ばれる小さな銀河が13個くらいあるとか。

ざっと記憶しているだけなので、不正確かもしれないけれども。

銀河の中心には、すべてブラックホールが存在しているそうだ。

難しかった。。。

ナショナルジオグラフィックで戦争特集をやっている。

アフガニスタンで活躍するグリーンベレーの取材を全部見てしまった。
一年待たされてやっと取材を許可されたそうだ。

取材中、最大の被害がでて、グリーンベレーのメンバーが、数人なくなってしまった。

戦争って、本当に、悲惨。
兵士は体が傷つくだけでなく、精神的に、まいってしまうそうだ。

自分が大怪我をして生き残っても、隣にいた人間が、跡形もなく、ばらばらに吹き飛ばされてしまったと、語る。

第1次大戦より第2次大戦、そして、さらに現代へと兵器はどんどん進化している。

アフガニスタンで活躍するERは本当にすごかった。

瀕死の重傷を負って、搬送された体。
どこが出血しているかわからないから、緊急手術して、あけてみる。
輸血は、体の全血液分以上。

本物のER。
ドラマではない。

「生々しい映像があります」みたいな、注意のメッセージが表示されたので、どうしようかなと思ったけれども、ちょっと遠くから見ていた。

お医者さんって大変だと思う。

今は、新型インフルエンザの脅威にもさらされている。

私は、大学受験の時、母に医学部へ行けといわれた。

いやだといって、現役の時は、志望校一本で、受験に失敗し、浪人。

浪人後、二期校は、母の言うとおりに医学部に出願したが、一期校に受かったので、受けなかった。

医学部に進んだある友人は、小児科の医師になったが、小児病棟があまりにも悲惨でつらいと、臨床を離れ、厚生省の役人になり、その後、健康診断の医師をしていたと、知人から聞いた。

お医者さんって、本当に大変そう。

産婦人科の医師ブログを以前読んでいたが、みんな精神的におかしくなってやめてしまうと書いてあった。
安月給で労働がきつい。

東京で一番大きい産婦人科病院にいるある女医も、子供を育てながら、すごい生活をしているらしい。
3人の子供がいて、夫と連係プレイで、何とか切り抜けているが、綱渡りのような状態だと。

今、医師不足が言われている。

また、薬漬け医療とか、病院破産とか、いろいろな問題がある。

どうしたらいいのだろうか。

フランスの外人部隊のドキュメンタリーもあった。

イギリスのケンブリッジ出身の人、フランスの陸軍士官学校卒の人、食べられなくて入隊してくる人、いろいろらしい。

数千億の銀河以外ちょこっとだけしか見なかったが。

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世界の組織犯罪という番組のインド編

ムンバイは、インド最大の犯罪都市なのだそうです。
スラムドック$ミリオネアで、ムンバイの恐ろしさを知り、感想サイトで、さらに事情を知り、びっくりしましたが、今回、タイミングよく、ヒストリーチャンネルで、「世界の組織犯罪」という番組で、インドを取り上げていました。

若干メモしました。

世界の組織犯罪「インド」

人口十億の国家。

「暗黒街はお金がすべてです。お金をださないと殺されてしまいます」
現代は成功者が標的となる。

インドは国ではなく大陸だと言われている。
数百の方言がある十五種類の言語が話されている。
その中にあって、誰でもが理解できる言葉、それが映画である。
映画はこの国で最も重要なサブカルチャーで、国民の好みを明確に表しているんです。
一つのことを分かち合えると言う意味では、国全体をまとめる役割を果たしているのかもしれません。
映画産業の中心地は、ムンバイの海岸地帯で、ポリウッドと呼ばれる。
年間六百本の映画を生み出す。
しかし、組織犯罪と深いつながりがある。
リティック・ローシャンはポリウッドで屈指の大スター。
「言って愛してるって」が大ヒットした。
彼の父親も有名人で、この映画の監督を務めた。
しかし、2000年1月21日、オフィスの外側で、二人のガンマンに待ち伏せされていた。
ムンバイの暗黒街から狙われたわけは、親子共に成功したからだ。
人口1600万人のムンバイは、かつてボンベイと呼ばれた組織犯罪の中心地。
インド経済の民営化と政治の腐敗は、眠っていた暗黒世界を呼び覚ましたと、作家のビラニ氏は言う。
「犯罪はインド中にはびこっていますが、特にムンバイはひどかったんです。犯罪者と警察と政治家を区別することさえも、非常に難しい状況になってしまいました」
売春密輸、不動産、そして、今最大の標的はポリウッド。
羽振りのいい商売の支配権を巡り、暗黒街の抗争はエスカレートするばかりである。

ローシャン襲撃事件は、最新の事件だが、その兆しは、1970年代に始まった。
当時、映画は産業として認められていなかった。銀行の融資も認められなかった。
「彼らは、銀行の融資を断られました。制作費を捻出するには、個人のお金を借りるしかありません」
暗黒街のボスたちは、いわゆる黒い金で映画の資金調達をした。
ギャングとの関わりで利益を得たプロデューサーもいた。
しかし、黒い金を利用すれば、ギャングの言いなりにならざるを得ない。ゆすられても逆らえない。
「映画がヒットするが、【金をよこさなければ、殺す】、いつそんな電話がかかってくるか、おびえているのです」。
1999年インド政府は、映画制作を正式な産業と認め、正式に融資を得られるようになった。晴れて、減税と利益を得られるようになった。しかし、最も利益を上げられる産業をギャングが手放すはずもなく、ローシャン襲撃事件が起きた。
これは、金を払い続けろという暗黒街のメッセージだと言われている。

現在、警察の保護を求めたが、警察は、ローシャン親子と、一握りのスターの護衛だけしかできない。

「ギャングの組織力を持ってすれば、どんな人物も狙うのは簡単です」
ポリウッドで地下組織がのさばるようになったのは、ここ20年ぐらいだが、何世紀も前のカルト集団が起源となっている。彼らの謎に満ちた殺人儀式は伝説となり、その名前は悪党と同意語となった。サグである。
この25年間で、凶悪組織は勢力を拡大した。

だが、そのルーツは、インドの広大で神秘的な田園地帯である。
その秘密組織は、何世紀にもわたって、旅人たちを襲い、殺戮を繰り返した。

それは、19世紀初頭、イギリスのインド支配以前のこと。
ロイ教授に解説してもらおう。
「インドは、まだ直接イギリスの支配を受けず、国策会社の東インド会社が統治していました」
200年の時を費やしても、イギリスはインドを大きく変えることはできなかった。
カースト制度、伝統的宗教、広漠たる未知の領土がいまだに残っているのである。
当時、その土地の多くはまだ無法地帯だった。
植民地化に当たり、イギリスはまず法律の整備に取りかかった。
「収益をスムーズに本国へ流すための措置だった事も確かです」
不可解な事実が耳に入った。
毎年何万人も行方不明になっている。
ちまたでは、殺人強盗組織サギーの噂が。
サギーは1300年代半ばから、インドに存在していたと言われる。
彼らは旅人や商人の振りをして、一緒に旅をし、寝食を共にし、警戒心を取り除いてから、襲撃した。一人が気をそらし、もう一人が後ろから、黄色いスカーフで、首を絞める。黄色いスカーフは彼らの象徴。
ルマールと呼ばれるスカーフは、ヒンデューの女神カーリーへの献身を表す。
インドにやってくるよそ者を怖がらせる存在、それがカーリー。
サグは絞殺という手口を正当化するために、神話を利用した。
ルマールは象徴的でもあり、実用的でもあった。
「ルマールというスカーフを身に着けているからと言って、すぐに殺人犯と疑われることはまずないでしょう。これは、いかにサグがずるがしこいかを物語っている例なのです」
サグにはそれぞれの役割があった。詐欺師または、スータと呼ばれる者が殺害を担当し、ルーガが墓を掘る。

「サグたちは、死体を隠すのが非常に上手でした。殺害を実行するのは、人里離れた場所で、埋めた上には石をたくさんおいて、野生動物に荒らされないようにしました」
様々な儀式を行うことにより、結束を高めたが、忠義や信仰のためだけに殺しを行ったのではなかった。
「表面的には宗教儀式を装いましたが、実際には被害者の持ち物を身ぐるみはがしていたのです」
「サグたち自身が記述したものに、どんな人を襲ったかが詳しく書いてあります。裕福な巡礼者、結婚式の一団、銀行家など、いずれもお金をたくさん持ち歩いている人たちばかりです」
19世紀初頭には約5000人のサグが年間約3万人を殺害していたと言われている。
イギリスのベンガル隊のある士官は、サグ根絶に生涯をかけようとしていた。

19世紀初頭、インドは二つの世界が混ざり合っていた。
イギリスは、ムンバイを始め、広大なこの国のごく小さな一部を支配しようとしていたが、そのほかの地域では、ごく昔と変わらぬ生活が営まれ、インド人はイギリス人を見たこともなかった。
イギリス人は、インドを出世と金儲けのチャンスがある土地だと考えた。
だが、ベンガル隊の士官ウィリアム・ヘンリー・スリーマンは、インドの人々や文化に魅了された。いつしか、彼は、インドの殺人集団を全滅させることに、情熱を傾けるようになった。サグである。1809年、スリーマンは、21歳でインドに赴任した。酒を飲まず、カルカッタにたむろする娼婦にも興味がなかった。代わりに、彼はインド文化にのめり込み、言葉を習得し、歴史や宗教を学んだ。ヒンドゥー教の研究をするうち、衝撃的な殺人強盗団の存在を知った。
「彼が読んだ報告書は、犯罪者や殺人者犯の逮捕について描かれたもので、彼が読むまで本当に関心を持つ者はいなかったのです」
報告書によれば、サグの一団は殺人の容疑で逮捕されたが、イギリス人判事は、彼らを釈放した。あまりに信じがたい告発内容だというのがその理由である。
スリーマンは詳細を聞き回ったが、皆無関心だった。
スリーマン氏は、自らの先祖をこう語る。
「インドでのビジネスに支障を来さない限り、イギリスは関心を持ちませんでした。彼がサグの捜索をしようにも応援が得られなかったのです」
1822年、スリーマンは文官任務を命じられ、行政長官に就任した。
法的な権限を得た彼は、サグを根絶するという堅い決意を新たにした。それから18年の間、インド中を周り、おびえる村人から情報を集めた。そして、身の毛もよだつ真実が明らかになった。
毎年何万人も殺害され、峡谷や浅い墓に埋められているというのである。500体以上埋められている墓もあった。被害者の多くは、首にあざが残っていた。これは、サグが絞殺を好んだことの証だ。
スリーマンは古代文化の詳細を一つ一つ丁寧に組み立てていき、サグが世襲制の集団であることを突き止めた。そして、それは、カースト制度や宗教をも超越していた。
驚いたことに、サグの多くは長旅の本当の目的を自分の家族にも隠していた。サグはダマシーナという隠語を使い、周りにいるよそ者に悟られずに仲間内の会話が出来た。
スリーマンは、このならず者の言語を詳細に記録し、辞書として出版した。それは他のサグ討伐隊の助けとなった。

1830年代初め、アジアにおけるイギリスの任務は変わりつつあった。インドは利用するべき国から、救うべき国となったのである。
「その頃の大英帝国は、自らを改革主義者だと考えるようになりました」
植民地政府は、スリーマンのサグ対策を支持するようになった。
1835年、スリーマンはサグ鎮圧の総司令官に任命された。本部は、デリーから南に640キロ離れたジャバルプールに置かれたが、彼の管轄権は、インド全体に及び、逮捕拘束容疑者の裁判など広範囲の権限を持っていた。
サグの隠語をすでに解読していたスリーマンは、サグをグループに分類し、仲間同士が裏切るように仕向けた。何世紀もサグを支えてきた信仰は、今やスリーマンの味方となった。
サグは、ひとたび捕らえられると、それは神の思し召し、運命だと思い、洗いざらいしゃべった。
告発人の話から、グループが全部つながっていることが分かった。
サグとインド王族の影のつながりも分かった。特に、イギリスの統制が及ばない地域ではサグが王族に守られている例もあった。
「王族は、自分の村や町にサグをかくまったんです。サグはよそ者を襲って、金品を奪い、王族はその分け前を手にするという恩恵を受けていました」
1840年までに、3000人のサグが捕らえられ、400人が処刑された。

新たな法律により、スリーマンはサグだけでなく、その協力者も拘束できる権限が与えられた。
ジャバルプールにあるこの教護院に一族全体を拘束したこともあった。
彼らはここで、染色や絨毯を織る訓練を受けたが、一生外に出ることは許されなかった。まだ捕まっていないサグもついに観念することになった。

1856年、スリーマンは妻のエイミリーと共にイギリスに帰ることになった。
インドで様々な病気にかかっていたスリーマンは、船に乗るためにカルカッタに到着した時、かなり衰弱していた。出航して9日後、心臓発作で倒れ、67歳でこの世を去った。

サグは神話だとする者もいる。
スリーマンの後に続く者が、犯罪人から反政府主義者に至るまで、実に幅広い対象を取り締まり、逮捕することが可能になったからだ。
インド中部では、別の遺産が受け継がれていた。ジャバルプール近くの小さな村、スリーマナバットである。1833年、99エーカーの土地を農民たちに与えた。
近くの聖堂では、サグを裁いた功労者として、ウィリアム・スリーマンが祀られている。

インドの組織犯罪は、サグが滅びてから、1世紀以上影を潜めていたが、ここ25年で復讐を果たすかのような復活をみせている。
最大のお尋ね者と呼ばれる黒幕の存在がその立役者である。
サグの全滅から、100年以上の時を経て、インドには犯罪組織の猛威がよみがえった。

もっとも危険な黒幕、ダ-ウッド・イブラヒムは、売春、不動産詐欺、国際テロに至るまで、あらゆる犯罪を影で操っている。

「最悪の犯罪者です。だれもがこの男の逮捕を望んでいます」
イブラヒムは、1955年、イスラム教徒の両親の間に生まれた。父親は警察官だった。
あくせく働いても一生十分なお金は入らないと考えた。

犯罪に手を染め、ムンバイの暗黒街でトップにのし上がった。

1947年8月、インドは独立した。
イギリス植民地インドは、ヒンドゥー教インドと、イスラム教パキスタンに分裂した。
宗教戦争が勃発した。独立に際して、首相に就任したネルーは、ソ連式5ヶ年計画の着手、産業の公共化、インド経済の整備を推し進めた。
ジャーナリストのプリパラニ氏「インドは社会主義国で、国内製品の質は劣悪でした。そこで、ムンバイの海岸から密輸品が流入するようになったのです」

その結果、ムンバイのギャングたちは、闇商売、特に金の密輸に手を出すようになった。中産階級のインド人は、インフレに対抗して、金の備蓄をする。
「密輸が盛んになるにつれ、ムンバイは犯罪産業の中心地になりました」
1980年代初頭、インドが資本主義に移行すると、闇の組織は凶暴化した。インド政府は、対外投資の壁を取り払い、輸入品を認め新技術を導入するようになった。
ムンバイは、新しい金であふれた。
市内は飽和状態となり、地価は高騰した。そこでギャングたちは行動を起こした。
「彼らは建設業者たちを銃で脅したんです。金をよこさなければ、殺すと」
この状況を利用した業者もいた。ギャングと手を組んで、立ち退かせ、不当な利益を手にした。
サワント刑事「法的な手続きを踏んで、人々を立ち退かせるのはやっかいです。そこで、マフィアの出番となります。彼らは腕力や暴力に訴えて、住人を立ち退かせるのです」
この新しい闇世界で、最も恐れられたのが、ダーウッドだった。
暴力で競争相手を蹴散らし、不動産詐欺などで巨額の金を儲ける。その金を合法的な開発資金として運用するのだ。
彼は、かつてのアル・カポネのように、自分はただのビジネスマンだという。
一大で富を築いた素朴な青年というイメージ作りにも余念がない。
ごく一部のような人々にとって見れば、ロビン・フッドのようかもしれませんが、一般的にみればけっしてそうではないです」
1993年3月ムンバイの連続爆破事件に関与したとして、最重要指名手配犯となった。
13件の爆破で317人が死亡した。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の因縁の対立を刺激する結果となった。反イスラム派が起こした襲撃事件に対し、イスラム教徒のイブラヒムが報復の目的で指示したとされている。
当時、ヒンドゥー過激派は、イスラム教徒の商店や家を焼き払うなどの暴挙に出ていた。「憎しみに満ちたひどい暴動でした。身ごもった女性が、おなかを刃物で切られ、胎児を切り裂かれた事もあります。犯人はこれ以上イスラム教徒を増やすまいとしたんです」
暴動で900人が死んだが、ほとんどイスラム教徒だった。これに衝撃を受けたイブラヒムは、報復を決意したのである。
「彼らはムンバイの至る所に爆弾を仕掛けました。経済wの中心地を攻撃することで、国内のイスラム教徒への謝罪を求めたのです」
その後、ムンバイの暗黒世界は分裂した。
イブラヒムの腹心の部下だったヒンドゥー教徒のラジャーンが、ボスに背を向け、自らをヒンドゥーのドンと名乗るようになった。
ラジャーンは、イブラヒム一党を殺害しようと心に誓った。
かつて親友だった二人の大物は、敵同士となった。つまり宗教的対立が暗黒街にも広がった。
インド当局は、爆破事件は、イブラヒムの単独犯行ではないとしている。
使われた爆弾が、パキスタンのスパイ組織、ISIから手に入れたとしている。
この主張もまた、インドとパキスタンのいがみ合いという火に油を注ぐ結果となった。
パキスタンに逃亡したイブラヒムは、現在もISIの保護下にあり、彼らに協力しているという。
ムンバイ警察シバナンダン署長「ISIは彼を利用しているだけなんです。用がなくなれば、始末されるでしょう」
両国間に犯罪者引き渡し条約がないため、法的にはなすすべがない。
「敵国であるパキスタンから、彼を合法的に連れ戻す方法などありません」
イブラヒムは、組織犯罪と世界で最も危険な国際テロとの橋渡し役となった。
1999年8月、イブラヒムは、イスラム過激派のオサマ・ビン・ラーディンとアフガニスタンのカブールであった。武器を買ってくれる新たな客を開拓しようとしていた。一方で。カラチの豪華な邸宅から、ムンバイに指令を送り続けているという。
「世界は狭くなりました。誰でも簡単に衛星電話を使えるようになったのです」

シバナンダンはイブラヒム逮捕に強い意欲を燃やしている。

商業と経済の中心地であると同時に流行も左右しているムンバイ。
ムンバイにはいまだ多くの貧しい人々が暮らす。

75万人の貧困者が暮らすダラビーと呼ばれる地区は、アジアでも最大のスラム街だと言われる。
それでも、インドの人々はムンバイに集まってくる。
多くの者は現実に打ち砕かれる。
ムンバイにやってくる若い女性の多くは、フォークランドロードと呼ばれる歓楽街で娼婦に身を落とす。
ムンバイでは1万人以上がギャングから金をもらって働いていると言われる。
働くためにムンバイに来るが、いとも簡単に犯罪に身を落とす。
ムンバイでは殺人の報酬はわずか100ドル。
ギャングから賄賂を受け取っている政治家がいる。

警察の堕落もある。
ギャングに情報を渡すだけで、警察の給料の10倍の収入が得られる。
これに対し、当局は浄化作戦を実行した。
44歳の元大学教授のシバナンダンは不正になびかない警察署長として高い評価を得ている。
これまで、シバナンダンは断固とした姿勢で立ち向かっている。
1999年、エリート特殊部隊を結成した。
彼らのセミオートマチック銃は飾りではない。
83名の犯罪者を射殺した。

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