カテゴリー「韓国の歴史ドキュメンタリー」の19件の記事

死後も金笠の詩は生き続けている

金笠の死後、金笠の詩はどうなったでしょうか?

にせものの金笠が現れた一方で、金笠の詩は、語り継がれ、書き写され、保存されました。

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蚊にたとえられた閔氏は、閔妃の一族だろう。

ウィキペディアを引用する。

閔致禄の娘。幼名は伝わっておらず不明。15歳の時(1866年)に王の実父である興宣大院君(以下、大院君)の夫人閔氏の推挙で王宮に入った。閔妃が王妃に選ばれた理由は、それ以前の60年間に及ぶ外戚安東金氏の勢道政治による壟断からの脱却をはかるため、外戚としての影響力の少ない人物を選んだと言われる。しかしながら、その方策は裏目に出た。

高宗が政治と妻に全く関心を持たず、関心が深いのは専ら多数の宮女や妓生達を相手にした漁色と酒といった放蕩三昧のみという愚昧な人物だった[4]。閔妃は王室に嫁いでから数年もしないうちに王朝の政治に深く介入するようになった。そして、大院君と王太子冊立に絡む対立が深まると1873年大院君追放の指揮を裏で執り行い、高宗の父で摂政を務めていた大院君とその腹心の部下たちを王宮から追い出し、一族を高官に取り立て政治の実権を握った。大院君はその後京畿道楊州に隠居した。しかしながら、この追放謀議に対して閔妃の存在を国家存続を脅かすものとして大いに憂慮した大院君は政局復帰、閔妃追放の為の運動を始め、それが朝鮮末期の政局混乱の一因にも成った。実に、大院君との権力闘争は敵対者を暗殺するなど熾烈なものであった。

大院君が失脚すると、閔妃は彼女の一族を積極的に重職に登用し、閔氏による勢道政治を行った。当初閔妃は開国政策をとり、日本と日朝修好条規(江華島条約)を締結するなど積極的な開化政策を実施した。日本から顧問を呼び寄せ、軍隊の近代化も始まったが、従来の軍隊(旧式軍隊)は放置され、賃金未払いなどが発生し、新式軍隊に対する不満が重なっていた。それと開化政策に不満を持つ大院君等の勢力が合わさり朝鮮の旧式軍隊が1882年閔妃暗殺を目論んだ(壬午軍乱)。その際、多くの閔妃派要人や日本人が殺され、日本大使館が焼き討ちにされたが、事件を察知した閔妃は侍女を自らの身替りとしていち早く王宮を脱出し、当時朝鮮に駐屯していた清の袁世凱の力を借りて窮地を脱した。この軍乱を指揮したとして、大院君は清に連行され天津に幽閉された。高宗の嘆願、朝貢も効果なく、幽閉は3年間続き、帰国したのは駐箚朝鮮総理交渉通商事宜の袁世凱と共にであった。

1884年の開化派の金玉均(1894年、閔妃の刺客、洪鐘宇により上海で暗殺)らの甲申政変により一時期政権を奪われるが、これも清軍の力を使って政権を取り戻し、開化派の政権は3日で崩壊した。

1885年になると、ロシアの南下政策を警戒しだしたイギリスなどを牽制するために親露政策もとりはじめる。1894年に東学党の乱(甲午農民戦争)が起きると清軍と日本軍の介入を招き、日清戦争の原因と戦場になった。日清戦争後、勝者である日本側の推す大院君派の勢力が強くなり、閔妃の勢力は力を失っていく。そのため閔妃は、親露政策をさらに推し進めていき、7月6日にロシア軍の力を借りて権力の奪回に成功する。この一件後の反明成皇后派の不穏な動きを察し、反対派の武装解除等を行った[5]。また、この時期、巫堂ノリという呪術儀式に熱中、国庫の6倍以上にあたる金額を布施により浪費している。

閔妃は微妙なバランス感覚による外交政策を得意にしていたとも言われるが、具体的には大院君への怨念ともいえる確執の政治姿勢で貫かれており、これらの政策が逆に仇となり大院君に代表される反対派勢力による反感を買うことになる。閔妃の動きは閔妃に不満を持つ大院君や開化派勢力や日本などの諸外国に警戒され、1895年10月8日、武装組織によって景福宮にて暗殺された(乙未事変)。この事件の犯人として、朴銑、李周會、尹錫禹の3名がとらえられ、閔妃殺害の謀反罪で、朝鮮王国の裁判において絞首刑の判決が下っている[6]。また、朝鮮が親露に傾くことに危機感を持った公使・三浦梧楼も暗殺事件への嫌疑がかけられたため、日本は国際的に非難され三浦を含む容疑者を召還し裁判にかけたが、首謀と殺害に関して[7]は証拠不十分し免訴となり、釈放した。

死後、大院君によって皇后としての称号を剥奪され、平民に降格された[8]ため、当初は東九陵の崇陵ではなく崇陵前に埋葬されたが、後に清凉里の洪陵に移され、さらには高宗没後は南楊州市の金谷銅に位置する洪陵に高宗と彼女の合葬陵として現在の洪陵[9]に移された。

19世紀末にロシア人 ゲ・デ・チャガイが編集した『朝鮮旅行記』の『1895年-1896年の南朝鮮旅行』の 章に、ロシア参謀本部のカルネイェフ中佐が「1895年11月26日に実行された王妃暗殺では、間違いなく大院君がかなりの役割を演じていた」と発言したと記述されている。なお閔妃と大院君の関係は、「閔妃#略伝と関連年表」を参照。
略伝と関連年表 [編集]

閔妃と関連の深い事項に関する年表を示す。

    * 1851年 閔致禄の娘として生まれる
    * 1863年(満12歳)
          o 12月 25代朝鮮王哲宗が32歳で死去。
          o 高宗即位 11歳であったため父 李?応は興宣大院君として摂政職となる
    * 1866年(満15歳)9月 王妃となる
    * 1868年(満17歳)高宗が宮女李尚宮に長子(完和君)を生ませる
    * 1871年(満19歳)閔妃 男子出産、男子は数日後死亡
    * 1873年(満21歳)
          o 11月 高宗親政 大院君失脚(摂政の座を降りる)
          o 閔氏が政権を取る。大院君系列の人々は追放・流刑・処刑等で追放。
          o 閔氏一族の官吏30数名 高官に
          o 12月 閔妃の宮殿に仕掛けられた爆弾が爆発
    * 1874年(満22歳)
          o 3月 男子出産(?、後の純宗)
          o 完和君を世子とする大院君派と?を世子とする明成皇后派で争い
          o 11月 閔氏一族の最高実力者領議政 義兄 閔升鎬宅に爆弾 彼と母子が爆死
    * 1875年(満23歳)
          o 8月 李裕元を世子冊封使として清へ 王世子(世継ぎ)として認められる(帰国 翌年1月)
          o 9月 江華島事件→日朝修好条規
          o 11月 大院君の兄 李最応の家に火が放たれる事件
    * 1876年(満24歳)
          o 2月27日 日朝修好条規
    * 1877年(満25歳)
          o 高宗第5男子平吉誕生(1891年(満29歳)義和君に封じられる)
    * 1880年(満28歳)側室の李尚宮が急死 その子(高宗の長男)完和君も変死(閔妃による暗殺説が濃厚)
    * 1882年(満30歳)
          o 1月 純宗 戴冠式
          o 閔一族の高官閔台鎬の娘が世子嬪(皇太子妃)と決まる(後の純明孝皇后閔氏)
          o 7月 壬午軍乱 閔妃は侍女を囮にして昌徳宮から脱出し閔応植に匿われるが実甥 閔泳翊は重傷 閔台鎬(純宗の妃 純明皇后の父)、閔永穆等は殺害される。[10]日本公使館包囲、焼き討ち、堀本工兵少尉ら数十名が死傷、花房義質公使ら逃亡→済物浦条約
          o 8月26日 政敵 大院君 清へ連行
          o 8月30日済物浦条約
    * 1883年(満31歳)
          o 当五銭を発行
    * 1884年(満32歳)
          o 12月 甲申政変 日本軍、王宮を占領。 閔妃失脚。
          o 閔妃 袁世凱と清軍の助けで政権奪回。日本公使館焼失、居留民被害。(→漢城条約、天津条約)
          o 金玉均、朴泳孝、徐載弼らは3日間で失脚 日本へ亡命(家族は服毒自殺、処刑等)
    * 1885年(満33歳)
          o 1月9日 日朝 漢城条約(日本:井上馨、朝鮮:金弘集)
          o 4月15日 巨文島事件
          o 4月18日 日清 天津条約(日本:伊藤博文、清:李鴻章)日清両軍の撤退
          o 朝露密約、日本、清に大院君の帰還要請。明成皇后側、大院君帰国の通達に難色
          o 10月3日 大院君 清から帰国(仁川)
    * 1891年(満39歳) 玄洋社設立[11]
    * 1892年(満40歳) 高宗29年春 大院君爆殺計画失敗[12]
    * 1893年(満41歳) 閔妃政権 金玉均暗殺の目的で地運永を日本に送る[13]が同年6月22日に朝鮮に送還。
    * 1894年(満42歳)
          o 3月28日 閔政権 上海に刺客 洪鐘宇を送り、開化派の金玉均を暗殺
          o 金玉均の遺体は清の軍艦咸靖により朝鮮に届けられた。遺体は六支の極刑(凌遅刑)。父は死刑、母は自殺、弟は獄死、妻の兪氏と娘は奴婢として売られる。
          o 5月31日 農民軍全州占領 清と日本が出兵(甲午農民戦争)
          o 7月 日本軍が王宮包囲、開化派中心の政権成立 閔氏政権を倒すクーデター
          o 金弘集を中心とする政権 甲午改革
          o 閔一族の閔泳翊、閔台鎬、閔泳穆、趙寧夏が殺される
          o 8月1日 日清戦争宣戦布告
    * 1895年(満43歳)
          o 3月30日 日清休戦条約
          o 4月17日 下関条約
          o 5月4日 三国干渉受諾(明成皇后 親露政策へ)
          o 7月6日 閔妃、ロシア公使ウェバーとロシア軍の力を借りてクーデターに成功 [5]
          o 7月10日 閔妃に関する謀議の風説の報告[5]
          o 朴泳孝は閔妃殺害計画を謀議したとされと京城を脱出、釜山経由で亡命
          o 9月1日 三浦梧楼、朝鮮国駐箚公使として着任
          o 10月7日 閔妃派政権 訓練隊の解散と武装解除を通告
          o 10月8日 閔妃殺害。死体は午前8時30分頃確認され、焼却。(乙未事変)[14]
          o 10月10日 大院君の提言で 身分を剥奪され平民となる[15]
          o 10月11日 王太子上訴で廃庶人閔氏に嬪を与える。[16]
          o 10月15日 同復儀 22日→成服[17]
          o 10月17日 三浦公使 解任 召還(18日)。→朝鮮国駐箚小村寿太郎弁理公使
          o 10月19日 朝鮮王朝 明成皇后殺害で李周会、尹錫禹、朴鉄及び一族を処刑(李周会の妻子は田舎に身を隠す。高等裁判所裁判長 張博)
          o 10月27日 15歳から20歳までの妃の選抜(揀擇)の公示[18]
          o 11月26日 閔妃を平民とした詔勅の取り消し→王后閔氏に[19]。同日、興宣大院君失脚。趙羲淵、李周會、権?鎮は免官。
          o 11月28日 春生門事件[20]。
          o 12月3日 この日初めて閔妃の崩御が公表された。(閔妃を平民とする詔勅や王后に復活させる詔勅時、閔妃の死亡は公表されていなかった)
          o 12月12日 三浦梧楼以下48名広島地方裁判所にて予審開始(一部軍法会議)[21]
    * 1896年
          o 1月20日 三浦梧楼以下48名 証拠不十分にて免訴(広島地方裁判所)[21]
          o 怪文書「各大臣が日本兵と共謀して謀反、国王を退位させようと計画。ロシア公使館に逃げて加害を免れたし」が高宗に届く[22]
          o 2月 ロシア軍王宮突入 高宗、世子ロシア露国公使館へ(露館播遷)
          o 閔妃殺害事件史料で特赦された禹範善、李斗鎬、李範来、李軫鎬、趙羲淵、権?鎭等の処刑の勅令[23][22]
          o 5月11日 朝鮮国ニ渡航禁止ノ件[24]
          o 7月 27日 成嬪
    * 1897年 明成皇后の諡号を受ける
          o 尚宮嚴氏生下高宗第7子英親王李垠
          o 10月28日 下玄宮・返虞[9]
    * 1903年
          o 11月24日 禹範善が純宗の放った刺客 高永根、魯允明によって広島県呉市で暗殺される(閔妃暗殺事件)享年52歳。

関連の話題 [編集]

明成皇后を題材とした角田房子の小説[25]「閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母」および韓国放送公社(KBS)のドラマ「明成皇后」などにより、一部史実とは異なったことが一般では信じられている部分もある。

彼女の生涯をドラマ化したKBSの「明成皇后」が話題になり、関心が高まった。

檜山良昭は事件当時景福宮にいた日本軍将校(日本で三浦とともに裁判にかけられて無罪となる)の一太刀が直接の死因となったとする推理作品を発表している(「閔妃殺人事件」 - 中央公論社の「ポンパドール伯爵夫人殺人事件」に収録)。

2001年出版の韓国人金辰明著「皇太子拉致事件」でも暗殺事件が取り上げられている。ここでは残虐非道な日本人が妃を「死姦」したと記述し、小説家角田房子(参考文献)から示された石塚栄蔵報告書を根拠とする実話であるとしているが、詳細な資料検討の結果、フィクションであることが判明している[26]。

2003年、従来は彼女のものとされていた肖像写真について、朝鮮王宮の女官を写したものではないかとする論説が発表されたり、彼女を名誉誹謗したとして罰金刑(罪名『死者に対する名誉毀損』)がソウル高等裁判所から作家金完燮に下されたりしたことは話題になった。

2005年5月、「明成皇后を殺害した者の子孫ら」を名乗る日本人が明成皇后が埋葬されている洪陵を訪れて謝罪した。事件から110年目のことであった。このときに子孫らは墓地を訪れていた明成皇后の曾孫に対しても謝罪の言葉を送ったが、皇后の曾孫は「謝罪を受ける、受けないは、自分がすることではない。政府レベルの謝罪がなければならない」と語った。これについては、それならば元寇の際の朝鮮兵による日本人民大虐殺も政府間レベルの謝罪が必要になる、という声も少なからずある[27]。

2005年9月2日、韓国人ジャーナリストの金完燮がその著作の中で歴史上の人物である閔妃のことを、「朝鮮を滅ぼした亡国の元凶であり、西太后と肩を並べる人物」などと評論したことに対して、ソウル中央地裁から名誉毀損であるとして閔妃遺族らへそれぞれ1000万ウォンを支払うよう命じられる[28]。

2009年8月24日、テレビ朝日『報道ステーション』にて閔妃の暗殺事件についての特集が組まれた。この特集は、チョン・スウン監督が2005年に制作したドキュメンタリー『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』を基に作られたもの[29]で、「犯人は日本人」としており、「『暗殺事件の犯人は朝鮮人による物であった』という目撃証言」を日本の工作とした。しかし一方で、現場に居合わせた王子・純宗による「国母を殺したのは、禹範善だ」[30]との、国王・高宗による「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」との証言[31]もあり、それらの証言と特集の内容との相違の説明はなかった。

2009年12月27日に放送されたNHKのドラマ『坂の上の雲』の第5回放送において、「朝鮮で大事件が起こった。王妃・閔妃が、三浦梧楼公使率いる日本人たちによって暗殺されたのである」というナレーションがあり、乙未事変を三浦梧楼ら日本人らによる単独暗殺事件として描いた。その際、閔妃の圧政や大院君との関係など、当時の朝鮮の国内事情には一切言及しなかった。なお、原作には閔妃や乙未事変についての記載は全くない。
幾つかの誤りと誤解 [編集]

秘密外交文書電報435号
    小説『皇太子妃拉致事件』に出てくる架空の文書。ここには閔妃暗殺の詳細が記載されているとしている。具体的には『日本の浪人が明成皇后の死体を屍姦し、死体を焼いて証拠隠滅した』という内容があるとされている。参考までに電報第 435 号(極秘扱)は「中山書記官より広田外務大臣宛電報」(昭和8年10月14日、『日本外交文書』昭和期II、第1部第2巻、69 頁)である[32]。
角田房子の示す閔妃の写真と説明
    「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」
    角田の本の表紙にある「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」は明らかに誤りで、これは宮中の女官の写真である。
    「王宮の多くの官女のうち、明成皇后とおぼしき女性を的確に捕えたのは、まさに写真によってである。」(『韓国写真史』姜相圭、蛍雪出版社参照、参考文献 327ページ)
    脚注及び外部リンク『明成皇后の写真はなかった』を参照。

参考文献 [編集]

    * 「朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期」講談社学術文庫(著者:Isabella L. Bird、翻訳:時岡敬子、講談社)ISBN 4061593404
    * 近世朝鮮史(著者:林泰輔、早稲田大学出版部 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館)
    * 「閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母」(著者:角田房子、新潮社)ISBN 4101308047
    * 「明治100年叢書 288巻 日韓外交史料5 韓国王妃殺害事件」(編集:市川正明、原書房)
    * [有馬頼寧関係文書目録] 国立国会図書館専門資料部(1989年1月) ASIN: 4875822294
    * 「朝鮮旅行記」『1895―1896年の南朝鮮旅行』の章(著者:ロシア参謀本部中佐カルネイェフ、編集:ゲ・デ・チャガイ、翻訳:井上紘一、平凡社) ISBN 4582805477
    * 「朝鮮王妃事件関係資料」国会図書館憲政資料室(編集 憲政史編纂会) マイクロフイルム 整理番号546
    * 「法制局参事官石塚英蔵傭聘ニ付朝鮮政府ヨリ依頼ノ件」朝鮮問題5(公信類) 陸奥宗光関係文書 国会図書館憲政資料室 資料番号 77-2
    * 「新聞集成明治編年史 第九巻 日清戦争」(編集:新聞集成明治編年史編纂會、出版:財政経濟学会) 昭和33年
    * 「梅泉野録 近代朝鮮誌・韓末人間群像」(著者:黄?、翻訳:朴尚得、国書刊行会) ISBN 4336031584
    * 「訳注梅泉野?」(著者:黄?、翻訳:朴尚得、文学と知性社 全3巻) ISBN 89-320-1565-1 94900 89-320-1563-5 (mun-hak-kwa ji-seong-sa)
    * The tragedy of Korea''(著者:Frederick Arthur Mackenzie、出版:London, Hodder and Stoughton 1908) LC Call Num: DS916 .M2.
          o 日本語訳 『朝鮮の悲劇』(訳注:渡部学、東洋文庫 222 平凡社)ISBN 4-256-80222-3
    * 「武田範之とその時代」(著者:滝沢誠、三嶺書房) ISBN 491490649X
    * 「近代外交回顧録(第5巻) 近代未刊史料叢書 (5)」(著者:広瀬順晧、ゆまに書房) ISBN 4897149908
    * 「閔妃は誰に殺されたのか 見えざる日露戦争の序曲」(著者:崔文衡、彩流社) ISBN 4882028786

脚注 [編集]

   1. ^ 本貫は、驪興閔氏。KBSのドラマでは諱は紫英ともされているが、明確な資料に基づいたものではない。本来は、「閔妃」とは「閔氏の王妃」という意味であり、固有名詞ではないが、近代朝鮮史で「閔妃」と言えば、この高宗の妃を一般に意味する。
   2. ^ 光武六年三月七日 韓国官報2141号 宮廷録事 GK17289_00I0079
   3. ^ 高宗太皇帝明成太皇后?廟主監儀軌 請求記号2-2218 1921年 http://e-kyujanggak.snu.ac.kr
   4. ^ 『朝鮮紀行』(イザベラ・バード著、時岡敬子 訳)における記述(p.441-)「王家内部は分裂し、国王は心やさしく温和である分性格が弱く、人の言いなりだった。そしてその傾向は王妃の影響力がつよまって以来ますます激しくなっていた。」からもうかがえる。高宗に関しての記述はMackenzie, Frederick Arthur(1869-1931)執筆のThe tragedy of Koreaを参照.邦訳は渡部学 訳注(平凡社)の『朝鮮の悲劇』を参照。
   5. ^ a b c アジア資料センター レファレンス コード:B03050001800
   6. ^ 朝鮮王国1895年(開国504年)11月14日(旧暦)官報号外「裁判宣告書」には、朴銑、李周會、尹錫禹の3名が閔妃殺害の謀反罪によって、朝鮮王国の裁判において、絞首刑の判決が下っている。これは、被告等の供述と金召史の告発、対質陳供、李甲淳、金明濟、李敏宏の供述を証拠としている。高等裁判所裁判長は張博、豫備判事は鄭寅興、判事は洪鍾檍、書記は李徽善。
      アジア歴史資料センター、GK17289_00I0006韓国官報 資料請求番号 奎17289 GK17289_00I0006 開國五百年十一月十四日 號外 1. 裁判宣告書
   7. ^ 日韓外交史料 第五巻 韓国王妃殺害事件 市川正明編 原書房刊 文書番号353
   8. ^ (高宗実録 巻33 『高宗実録 乙未(三十二)年八月二十二日』)
   9. ^ a b 閔妃殯殿魂殿都監儀軌 奎章閣 Ref. 奎 13890-1-3
  10. ^ 承政院日記高宗 19年 9月 22日前後にはその後の上訴等が記載
  11. ^ 梶川光・藤勝顕らが暗殺事件に参加したとされる。
  12. ^ 梅泉野録には閔妃によると記述。『大院君邸内火薬爆発ノ件』アジア歴史資料センター Ref.A04010006500には爆薬による爆殺計画と記載
  13. ^ 4.金玉均本邦退去ノ件/1 明治19年5月29日から明治19年7月26日(韓国亡命者金玉均ノ動静関係雑件(京城説伝) 第二巻)アジア歴史資料センター レファレンスコード B03030201100
  14. ^ 『高宗実録 乙未(三十二)年8月20日』
  15. ^ 『高宗実録 乙未(三十二)年8月22日』 廃王后閔氏為庶人。韓国官報号外も参照。開國五百四年八月二十二日號外 朕?臨御??三十二年?治化?普洽????中?王后閔氏?其親黨?援引??朕?左右?布寘??朕?聰明?壅蔽??人民??割??朕?政令?濁亂??官爵? 鬻賣??貪虐?地方?遍??盜賊?四起??宗社?岌岌?危殆??朕?其惡?極??知??是?罰????朕?不明??亦其黨與?顧忌????朕?是?壓抑? ?爲??上年十二月?宗廟?誓???曰后嬪宗戚?國政?干???許???????閔氏?改悟??冀??閔氏?舊惡?悛?????其黨與及群小輩?濳相引進 ??朕?動靜?察??國務大臣?引接?防遏??又朕?國兵?解散??朕?旨?矯??亂?激起??事變?出??朕?離??其身?避??壬午往事?蹈襲??訪求???出現?????是?王后?爵德?稱??????其罪惡?貫盈??可?先王宗廟?承?????朕?得已????朕家故事?謹倣??王后閔氏?廢?? 庶人????
      勅 宮?府大臣 李 載 冕 ?閣總理大臣 金弘 集 外部大臣 金允植 ?部大臣 朴定陽 度支部大臣 沈相薰 軍部大臣趙羲淵 法部大臣 徐光範 學部大臣臨時署理 徐 光 範 農商工部大臣署理 鄭 秉 夏
  16. ^ 韓国官報 号外 開国504年8月23日 にも同じ記載。
  17. ^ ソウル大学韓国学研究院 奎章閣 Ref. 奎 13885-1-3 明成皇后殯殿魂殿都監儀軌 殯殿都監(朝鮮)編
  18. ^ 韓国官報 開國五百四年九月八日 号外 GK17289_00I0004 本月七日? 宮?府大臣?揀擇??節次?取稟??十五??二十??至??處女?捧單?????聖旨?奉?
  19. ^ 開国504年10月10日 官報号外 Ref. GK17289_00I0005 GK17289_00I0005 詔勅 王后閔氏の其位号を復す。本年八月二十二日詔勅の取り消し。
  20. ^ 韓国王露公使館ヘ播遷関係一件 公文雑纂・明治二十九年・第九巻・外務省一・外務省一 朝鮮京城事変ノ顛末ニ関シ小村弁理公使ヨリ報告ノ件 アジア歴史資料センター レファレンスコード A04010020500 5画像目/23画像
  21. ^ a b 新聞集成 明治編年史 第九巻 日清戦争期 時事 1986年1月23日記事
  22. ^ a b アジア資料センターレファレンス コード:B03050313400
  23. ^ Official Gazette of Korea, Feb. 12, 1896(韓国官報 建陽元年二月十二日 號外)
  24. ^ 明治29年勅令第204号
         1. 文武官其ノ他官庁ノ命ニ依ル者ノ外日本臣民ハ管轄地方庁ノ許可ナクシテ朝鮮国ニ渡航スルコトヲ禁ス犯ス者ハ一月以上一年以下ノ重禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス
         2. 本令ハ発布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
      明治29年5月11日に公布即日施行
  25. ^ ノンフィクションという分類に入れる人もあるがフィクションの歴史小説であるという評価の人もいる。例えば、角田の本の表紙にある「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」は明らかに誤りで、宮中の女官の写真であり、婚礼においてクンモリで臨んだ記述にも誤りがある。詳細な資料収集には優れるが、同一事項に対して複数の資料収集を行い、それらを相互比較し、資料の真偽の判定等を学術的に行うことをしていないとの批判もある。特に閔妃殺害事件の首謀者、実行犯に関しては、角田が出した結論とは矛盾する資料も数多くあり、角田の結論は仮説の1つに過ぎないという指摘もある。
  26. ^ 根拠 国立国会図書館憲政資料室蔵 憲政史編纂会収集文書 外交問題主要事件資料 546 朝鮮王妃事件関係資料 546-1 標題:"石塚英蔵書簡、法制局長官末松謙澄宛" マイクロフィルム
  27. ^ “明成皇后殺人犯の子孫が謝罪”. 中央日報. (2005年05月10日). http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=63394&servcode=200§code=200&sectcode=
  28. ^ 親日作家が敗訴 9600万ウォン賠償命令(朝鮮日報 2005年9月2日)
  29. ^ 明成皇后殺害事件、日本のテレビ局が取り上げる朝鮮日報2009年8月24日
  30. ^ 往電31号
  31. ^ 1906年・統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記)
  32. ^ 韓国人の日本偽史(野平俊水)小学館 ISBN 4094027165

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朝鮮戦争の未公開映像を含むドキュメンタリーを放送していました

昨夜ディスカバリーチャンネルで、朝鮮戦争の映像ドキュメンタリーを放送していた。

未公開映像を含むものだそうだ。

8月は、戦争関連のドキュメンタリーが多く、太平洋戦争の映像ドキュメンタリーも、たくさんあって、むごたらしい映像もたくさんあった。

しかし、それらは、外国のドキュメンタリーなので、日本兵の死体などは、平気で放送していて、しかも、日本軍をやっつけろ、みたいな視点で、描かれていて、見ている人は、日本軍は、勝手に戦争を起こして、悪い国だ、という印象を受けるかもしれない。

もちろん、そのころの歴史的事情を知れば、それぞれの国の事情があったことを、私は知っているから、一方的な見方だと思いながら、見ていた。

しかし、朝鮮戦争は、また別だった。

「一部不快な映像があります」みたいな注意書きが出ていた。
日本軍の悲惨な映像には、そんな注意書きは出ていなかったように思う。

朝鮮戦争は、南北朝鮮の兵士達が、殺しあうだけでなく、民間人も、戦ったらしい。

衛星放送の「千万回愛してます」をメインに録画していたので、しっかりみていたわけではなく、遅れて見始めたので、次回の放送のときに、しっかり見るつもりだけれども。

北朝鮮が攻め込んで、ソウルを占領したが、アメリカ軍が韓国軍を支援して、ソウルを奪還する。

次には、中国とソ連が北朝鮮を支援して、ソウルを奪還し、さらに、南に向かって進軍する。
しかし、さらに南下を続けると思われた北朝鮮は、なぜか南下を中止する。

実は、食糧不足だった。

アメリカは、一時、原子爆弾を24発投下する計画を立てたそうだ。

しかし、第3次世界大戦を引き起こす可能性があり、躊躇したとか。

以前、手に入れた「毛沢東の朝鮮戦争」という本では、ソ連は北朝鮮の韓国侵攻を、承認しなかったそうだ。

中国では、毛沢東が、説得して、北朝鮮支援を決定したそうだ。

ヒストリーチャンネルの毛沢東シリーズでも、この朝鮮戦争への出兵の悲惨さが、扱われている。

中国軍は、国共内戦を勝ち抜いた精鋭部隊、アメリカ軍は太平洋戦争を勝ち抜いた部隊だったと昨夜ナレーションで説明していた。

ドラマ「ソウル1945」でも、ソウルに住んでいた主人公達が、北朝鮮のソウル占領、その次のアメリカ軍が支援する韓国軍のソウル奪回で、大きく運命が変わっていく。

内戦というのは、本当に悲惨なことだ。

また何万人という死者も出たらしい。

日本統治時代がどうのこうのというよりも、いまだ停戦中か、休戦中か知らないけれども、南北朝鮮の関係のほうが、ずっとひどいではないか?

その背後には、中国とアメリカがいるわけで、それぞれ憎しみあっていて、仲間同士が、殺しあうという悲惨さを、感じた。

日本統治時代とはいうけれども、朝鮮総督府というのがあって、日本人は、ほとんどすべて朝鮮総督府にまかせていたわけで、朝鮮総督府が実際の行政を実行した。

日本政府は指導しただけで、しかもその指導は、朝鮮人の生活レベルを向上させるためだったわけだし、日本政府に責任があるというよりも、従軍慰安婦などは、エコノミストによると、朝鮮人が連れて行ったそうだから、朝鮮総督府内部の朝鮮人同士の問題だ。

政治思想、つまり、共産主義という空虚な理論のために、南北朝鮮の悲劇が生まれている。

共産主義から守るために、アメリカ軍も戦っているわけで、韓国自身が、北朝鮮と戦うのが、本来の姿だ。

とすると、北朝鮮と韓国は、お互いに相手の国が滅ぶまで戦うのだろうか。

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金笠の死後、さらに人気が高まっていった

金笠は、曲がったからだで、放浪を続け、亡くなった。
民衆は、金笠が死んだ後も、金笠の詩を愛し続けた。
語り継がれ、書き写されて、何百もの詩が残された。

スーパーヒーローだった金笠の死後、
金笠の死後、ニセの金笠が、次々に現れた。

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韓国の放浪詩人金笠の話

韓国の放浪詩人、金笠という人がいる。

KBSWORLDの歴史スペシャルで、先日放送していた。

歴史スペシャルは、ときどき、とても面白い内容を放送する。

金笠も、なんとも言いようがなく、哀れで、素晴らしいドキュメンタリーだった。

金笠は、名門の出身だったが、すべてを捨てて、放浪の旅に出る。
息子が連れ戻しに行っても、だまして逃げる。

民衆のために、素晴らしい詩を作って、あちこちに書き残した。

金笠が死んだあと、偽物らしき金笠が、何人もいたそうだ。

金笠の詩は、語り継がれ、寺子屋のようなところで、学ぶ材料にもなったそうだ。

金笠の詩

金笠の詩

不滅の放浪詩人金笠(あさやんのページ)

ネットで見つけたのがこれらのページです。 

 

歴史スペシャルの画面キャプチャーを一つずつアップするのが面倒なので、
フォト蔵のスライドショーを貼り付けます。

金笠が放浪するきっかけになったのは、祖父とは知らずに、公衆の面前で非難してしまった
ためといわれていました。
真相はどうであったのか、歴史スペシャルはつきとめました。

ひどい世の中だったことがよくわかります。

金笠は、最後は、曲がった体で、つえをつきながら歩いていたそうです。

 

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三田渡碑文(その6)

仁祖の次に、即位した孝宗は、北伐を計画し、清に逆らって、こっそり軍備を増強し、それが発覚してしまいます。

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清の使節を迎えに行くイギョンソク。

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イギョンソクが責任を取り、流刑されることになった。

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三田渡碑文の文字は削り取られています。

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100年に一度くらいしか与えられない名誉が、この几杖(杖といす)。

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イギョンソクの名誉を剥奪したのは、後の人物で、このソンシヨルたちでした。

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粛宗は、チャン・ヒビンの相手の王であり、老論派と西人派の争いがあって、何のことだろうかと思いましたが、老論派の意味が少しわかりました。

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日本が、三田渡碑文を、韓民族に屈辱を与えるために、建て直したというのは、またすごい言い方ですが。
歴史的な建造物とは思えないのでしょう。
いまだに、韓民族の心の傷となっているということでしょうか。

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こういう風に考えられるのは、すばらしいことだと思います。
この碑文を建て直した日本は、清の属国であった朝鮮を独立国とするために、日清戦争を戦ったわけで、最初は植民地にするつもりではなかったそうです。

毎年、清に莫大な財物を送らなければならず、宮廷も贅沢三昧の王妃のために、国庫はからだったという貧しい国だった朝鮮。

想像を絶する悲惨さでした。

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美しい言葉で、無意味な理想社会を語るだけの、共産主義者のことを、批判しているのでしょう。

KBSWORLDには、時々、このようなすばらしいドキュメントがありますが。

韓国では、共産主義勢力のパワーがかなりあるようです。

金大中やノムヒョンなどは、共産主義者のようなものだったそうです。

金大中は北朝鮮に莫大な資金を送ったそうですが。

「ソウル1945」や「第5共和国」「人生画報」には、さまざまな動乱の時代が描かれています。

ソウル1945では、先日チラッと見たとき、北朝鮮と一緒に連立政権を立てようとしていました。
主人公は、共産主義者の男性とその恋人です。

戦争中は、ソ連に行ってしまい、戦後帰ってきて、再会しました。

最初日本人を、威張り散らすいやなやつに描いていたので、あまりじっくり見なかったのですが、今真ん中くらいで、かなり面白いです。



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三田渡碑文(その5)

結局、自殺させちゃうくらいなら、連れ帰らなければいいのにと思うけれども、そうはいかないのでしょう。
やはり、清に連れ去られた人たちも、故郷に帰りたいと思うのでしょう。

とても悲惨な出来事です。

受け入れられない現実に直面するとき、現実逃避か、頭がおかしくなってしまうか、さまざまですが、この悲惨さを経験した後、朝鮮の支配階級は、現実を直視できなくなったというのが、チェ・ケイホ氏の説です。

家臣も、清にひれ伏した王を見捨ててしまいました。

碑文は、結局イギョンソクが書くことになります。

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イギョンソクは、これらの意見に反対し、清から戻った女性たちの子孫も登用すべきだと主張しました。

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三田渡碑文(その4)

イギョンソクの考え方は、次のようなものでした。

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この考え方は、あたりまえだと思うけれども、「テジョヨン」で何度も、強調するように語られていました。最初は、ヤン・マンチュン将軍の遺言として、テジョヨンに言い残しました。また、平壌城落城のとき、テジョヨンが語り、契丹部族長が感銘を受けます。

「民無くして、国家なし」

そうでない時代が続いたので、このせりふが、ことさらすばらしいのでしょう。

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清のほうが上手というか、朝鮮の事情を見抜いていました。

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三田渡碑文(その3)

丙子胡乱のとき、仁祖は無様な逃げ方をしなければならなかった。

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豊臣秀吉は、明を討伐するという目的で、朝鮮出兵をしたそうだ。
壬辰倭乱と呼ぶけれども、朝鮮の民衆は、秀吉軍と一緒に王宮を焼き打ちして、自分たちの奴隷の証文などを焼き捨てたそうだ。

以前、歴史スペシャルで、城の濠から、女子供の死体がたくさん出てきたとして、秀吉軍が残虐だとしていたけれども、今回、イスンシンを見たり、いろいろな資料を見ると、実際には、どういうことが起きたのか、よくわからない。
王宮が民衆に焼かれてしまったそうだから、つまり、王は謀反を疑ってもしょうがないわけで、勝ち目がないと戦わなかったら、謀反だと思ったのかも。

なぜ明を目の敵にしたのか、と、私は思うのだけれども、西日本では、いろいろな交流があったらしい。
対馬は貿易拠点になっていたけれども、世宗は、倭寇退治のためといって、対馬に攻め込んだらしい。
しかし、倭寇の実態は、中国人だったという説もある。

それはさておき、丙子胡乱に話を戻すと。。。

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絶体絶命の籠城戦でも、イギョンソク以外は清をばかにしていた。

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北朝鮮とそっくり。。。
チェ・ケイホ氏の言うとおりです。
こういう風な考え方の伝統が李氏朝鮮の時代からあるなんて、想像もできません。

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三田渡碑文(その2)

碑文を書くように頼まれた4人の名文家は、仮病を使ったり、わざと下手な文章を書いたりして、逃れようとした。

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わざと下手な文章を書いたのが、チャンユでした。

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そうなんですか、韓国では。

今も昔も、個人の名分が優先されるわけですか。。。

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三田渡碑文

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三田渡碑文(その1)

KBSWORLDの歴史ドキュメンタリーが、とうとうなくなってしまった。

最初は、韓国史傳、次は、歴史スペシャルという番組で、楽しみにしていたけれども、歴史スペシャルのころから、同じ内容を何回も放送することがあり、日本では放送できない内容なのだと思った。

今回の番組変更で、ついに消えてしまった。

過去のおもしろかった番組を見るしかない。

三田渡碑文の事件は、チェ・ケイホ氏によると、朝鮮の国の在り方を知る上で、非常に大きな出来事だったそうだ。

何回かに分けて、その事件の番組を振り返ってみたい。

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丙子胡乱がおさまったあと、仁祖は、四人の名文家を極秘に呼び、碑文を書くように、言った。


しかし、四人とも断った。

丙子胡乱で、清に蹂躙されたあと、その敗北を刻みつける文章など、誰も書きたくない。
自分の名誉、名声を傷つけるものだからだ。

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清は女真族の国であって、野蛮人の国だと仁祖たちは、考えていた。

明は宗主国だが、女真族の国、清など認められないと考えていた。

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明を味方につけて、李朝朝鮮を乗っ取った李朝朝鮮の太祖は、高麗の将軍出身で、高麗の王族ワン氏をすべて殺してしまった。

ところが、結局明は滅びてしまうわけで、清が明にとってかわった。

それを認めることができないわけだ。

清が大軍をもって攻め込んできたのは、当時の世界情勢では、当然予想されたことだった。

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