カテゴリー「南京大虐殺の虚妄」の5件の記事

南京攻防戦について

「南京大虐殺はなかった」とする河村名古屋市長の発言に対して、様々な反応が巻き起こっている。

私は、以前、前川三郎という人の書いた「真説・南京攻防戦」という本を読んで、感想をこの今日的見聞録にアップした。
サブタイトルが、「生き証人達が叫ぶ南京戦の実相」。


⇒【誤り続ける日本の政治家たちは、糞便の海を泳げるか

⇒【前川三郎著「真説・南京攻防戦」の写真


南京大虐殺について、検証を加えた本が、「南京の実相」など、いろいろ出版されているらしくて、読もうと思っているけれども、読みかけの本がたくさんあって、まだ注文していない。

この前川三郎氏の本を読んで、これは、真実だと思ったし、この本に書かれていることは、他にはないリアリティの或る話があって、私は特に、一押しなのだけれども、あいにく絶版となっている。古本屋で購入した。


アマゾンのコメントには、「特に品格の高い本」と書かれているが、私は、特に、最も困難な状況を強調しすぎて、品格に欠ける書評になってしまった。

というのは、南京城は難攻不落と言われた城で、攻めるのに大変だったという状況をつぶさに説明している。

その中で、或る入り口というか、門を入ると、そこは、糞便の海となっていて、しかも、中が狙っているという門を突破せざるを得なかったという部分がある。

その場所を、文字通り便衣兵となって、くぐり抜け、城内に姿を現した日本兵に、中国兵は,腰を抜かし、軍服を脱ぎ捨てて、便衣兵となって、逃げた、とまあ、だじゃれにすべ的話題ではないけれども、すごい話である。


他には、今手元にその本がないけれども、様々な門から攻略する日本兵に対し、待ち受ける中国側は、有利な体勢で、攻撃し、日本側も多くの死者を出して、攻略したというのが真実だった。
その布陣などの詳しい地図も、あった。

中国側は、督戦隊がいて、鎖でつながれた中国兵もいたそうだ。
逃げようとする中国兵を銃撃するのが,督戦隊だ。

しかし、最後は総崩れになって、城外に逃れようとする中国兵は、川に飛び込むものもいた。
そこへ、ちょうど日本の軍艦がきて、一斉砲撃を加えることができたらしい。

便衣兵掃討中、突然攻撃を仕掛けるものもいて、油断も隙もないゲリラ戦になる可能性もあった。

そして、集団で投降した中国兵にたいして、対応した日本の部隊は、それぞれ異なった対応をした。

処断として、捕虜を殺した部隊もあったらしい。
輸送しようとして、途中で反乱に遭い、戦闘になった部隊もあったらしい。
捕虜収容所に収容した部隊もあったらしい。


南京城の司令官だった人物は、徹底抗戦を指示し、自分はこっそり列車で逃げた。

そしてつかまって、敵前逃亡で蒋介石軍に、処刑された。

南京はそもそも蒋介石軍の拠点であった。

蒋介石は、戦後日本に対し、戦後賠償の放棄、日本軍兵士の帰還、日本分割統治に反対、という三つのプレゼントをしてくれた。
もし大虐殺があったら、蒋介石は日本に好意的であるわけがない。

南京攻防戦の後、捕虜となった中国兵は、大事にされていて、戦後まで生き延びていたそうだ。

その後、南京は親日政府が樹立された。


日本を貶める大虐殺派のコメントというか、説明を読むと、この本を読んでいるので、あ、これは、うそだな、とわかるものがある。

例えば、南京城の司令官は、退却を命じたなどという文章があった。
そうではなく、徹底抗戦を命じておいて,自分だけ逃げて、味方に捕まり、処刑されたというのが、真実だ。

この本を、ぜひとも読んでほしいと思う。

マギー牧師というのが、インチキ野郎だったらしい。

日本軍は、規律正しい軍だったので、兵士の不法行為を、戒めていたけれども、いろいろな通報があって、行ってみると、何もなかったということが、日に何度もあったらしい。

勿論、実際に不法行為があった場合は、厳罰に処されたけれども、いろいろ言われているほど多くはなかった。

この本は、実際に南京攻略戦に参加した兵士から聞いた話をまとめたものであるので、とてもすばらしいと思う。

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謝り続ける日本の政治家達は、糞便の海を泳げるか?

「真説・南京攻防戦」を読んでから、考えていること。

ブログにもアップした糞攻めの話。

もし、自分がその場にいたら、どうするだろうか?

あなたがその場にたったら、どうしますか?


なんでもそういう風に考えてみるのが私の癖。

どんなことでも、最悪の事態を想定して、対策を考えておくという性格。

どう考えても、この糞便の海だけは、だめ。

死んだほうがまし、なんて思う。

匍匐前進して糞便の海にもぐるか、立って進み、撃たれて死ぬか?

撃たれて死んでもいいから、糞便の海は、カンベン!!と思う。

それが今の感覚だと思う。

誰もが、そう思うと思う。

しかし、通州事件や大山事件のような日本人虐殺に憤激した世論は、日本軍に期待していた。

その声にこたえて、命がけで戦った日本軍の兵士は、古今のいかなる英雄よりもすごい。


硫黄島の栗田中将の「散るぞ悲しき」もそうだけれども、ありえないくらいつらい戦争。

昔、運転免許を取りにいったとき、教官が、たしかニューギニアのジャングルで、飢えと戦った話をしていた。
ニシキヘビを捕まえて、食べたとか、聞いた。

その教官からは、交通事故の悲惨さも、聞いた。

交通事故の処理は大変だろうなあと思ったけれども。

南京攻防戦は、難攻不落ともいわれた南京城をたった三日で陥落させてしまう日本軍はすごい!!

しかし、もし、私が、その糞便の満ちた場所で、攻める立場になったら、どうだろうか。

糞便の海を、匍匐前進するだろうか。

10年位前まで、今の住所の近くに、汲み取りの車が来ていることがあった。
その場所は、駅前で、通勤のときに、出くわしてしまうことがあった。

小鳥の町とかいわれた場所で、よくわからないのだけれども、何かわけありの場所。

汲み取り車は、50メートルくらい離れたところでも、においがして、息を止めて、走って、通り過ぎたものだ。

肥溜めというのが、昔はあって、しばらくするとそれほどにおわないらしい。

マッカーサーの後任指揮官が書いた朝鮮戦争の本を読んでいたら、その当時の朝鮮は、どこでも肥溜めのにおいがしたそうだ。

しかし!!

何万人もの兵士達の糞便の海!!

わざと、そうしたのだろうか。

攻められないように、糞便の海をおいたのだろうか。

中国のトイレは、丸見えだと、昔何かで読んだ。

そのようなトイレが、門の辺りにあったのだろうか。

死ぬことと、糞便の海を泳ぐことと、どちらがつらいだろうか。

この話を読んで、この「真説・南京攻防戦」は、本当の話だと思った。

真実の重み、真実のにおいがする。

これは、本当の話だ。

その後に続く、ものすごい戦いも、本当の話だ。

略奪・強姦などするようなメンタリティーと、このようなつらい戦いを遂行するメンタリティーは、両立しない。

糞便の海を泳いで、死傷しながら、戦った兵士達は、略奪や強姦などしない。
そのような劣情に負けたりはしない。

そう思う。

糞便の海で戦える人間は、最高の精神力を持っていると思う。

私は、とても無理だと思う。

考えられない。

南京大虐殺があったとするホームページを見てみた。

論理がぐちゃぐちゃで、証明にも何もなっていないのに、これで便衣兵はいないことが証明できたなんて書いてある。

そのホームページの作者の名前やプロフィールなどは、何も書いてない。無責任なホームページだ。

こんないいかげんな論旨とか証明で納得するとしたら、バカだろう。

このホームページそのものが、捏造の証拠のようなものだ。


便衣兵は、兵隊の服装を脱ぎ捨てて、裸か普通の衣服を着て、安全区へ逃げ込んだ中国の敗残兵のことだが、糞便の海を泳いで、文字通り便衣兵となって、戦った人たちがいたことは、どこにも書いてない。

大虐殺の記事なんて、伝聞記事ばかりだそうだから、誰も知らないのだろう。


マギー牧師とかいう欧米の関係者が、でたらめの報告をどんどんタイプして送っていたそうだから、それが元になったに違いない。

その意図は、もちろん、勝つとは思わなかった日本軍が、勝利して、南京を占領した事実を、敵性外国人が快く思わなかったということだろう。

その時代、アメリカでは、排日の機運が高まっていたし、欧米列強は、植民地の分捕り合戦の最中だったのだから。

この本の著者、前川三郎氏は、滋賀県の出身で、日本軍兵士として、参加した。

前川氏自身は、南京攻略戦線に参加しなかったが、南京戦に参加した部隊が、同郷だったため、何人もの知人から直接話しを聞くことができた。

大勢の人の話を集めて、この本を書いたそうだ。

生き証人が生きているうちに書かねばならないと、戦争に勝利していたら、英雄としてたたえられるべき行為が、けがされるのに我慢がならないと。

戦後、無実の罪を着せられ、惨殺された日本軍兵士達。

東京裁判だけでなく、各地のいんちき裁判で、無実の罪を着せられた戦犯は数知れない。

敗戦がいけなかったんだ、まだ戦争が終わっていないんだと、死んでいったそうだ。

戦争が悪いのは当たり前だ。

しかし、戦争が悪いからと、すべてを日本軍のせいにして、ばかのように謝罪してばかりいる日本の売国政治家を、無残な死を遂げた死者たちはどのように見つめているだろうか。


「日本は侵略国家で、悪い国だ」と謝罪する政治家は、糞便の海を泳げるか?

一度泳いでもらいたいものだ。

この兵士達の、つめの垢でも飲ませてやりたい。

愛国心のかけらでもあるなら、そうするべきだ。

愛国心、そういえば、中川秀直も、日本人ではないそうだ。
小沢も、福島瑞穂も、土井たか子も、管、山岡も、みんなみんな、朝鮮半島出身だそうだから。

彼らの愛国心は、朝鮮半島に向けられているのだろう。

日本の未来はどうなるのだろうか。

秦の始皇帝の墓で、奴隷として死んだ人たちのDNAは日本人と一致したそうだ。

つまり、大陸や朝鮮半島で、戦争に負けて逃げてきた人達の子孫が日本人だということ?

縄文人は、大陸からの戦争慣れした渡来人と、戦って殺されたあとが、遺跡に残っているそうだ。

その後、仲良く一緒に住むようになったとか。
NHKスペシャル「日本人はるかな旅」で放送していた。

これから先、どうなるのだろうか?

またまた渡来人に、痛めつけられることになるなんて、ごめんだ!!

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前川三郎著「真説・南京攻防戦」の写真

文章を入力するのが大変なので、写真をアップすることにします。 南京の安全区ラーべ委員会のラーべ氏から届いた感謝状。 CIMG6520

戦車が人間の体をひくことなんてありえなかったそうです。

CIMG6529

実際には見ていない伝聞にすぎない大虐殺。 CIMG6527

光華門の死闘。 CIMG6526

安全区に敗残兵が侵入するのは、国際法違反なのだそうだ。 CIMG6525

困難だった安全区掃討作戦。

CIMG6524

掃討作戦要領。

CIMG6522

CIMG6521

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

捕虜については、部隊によって、いろいろな対応だったようです。
投降したからといって、数で勝る中国兵を護送する途中で、勘違いから、対岸の日本兵が発砲し、中国兵が暴動を起こし、護送していた日本兵も死傷しつつ、機関銃で鎮圧した事件が、幕府山事件なのだそうです。

さまざまな人の書いたものを引用して、実証しています。

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

敗残兵ではないと認定した人に、良民票を発行しています。その数が20万枚以上だったそうです。

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

安全区へ敗残兵が逃げ込むのは国際法違反だそうです。

送信者 真説・南京攻防戦

松井対象が激怒した悪業が380件あり、厳罰に処したたそうです。

送信者 真説・南京攻防戦

中国人からの感謝状。

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

南京防衛軍の捕虜で、後に汪兆銘軍に加わった上級将校の話。

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

中国人の漢奸狩りで銃殺された人のさらし首が行われていたようです。漢奸とは、日本人に協力した中国人を裏切り者と呼んだ名称です。

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

送信者 真説・南京攻防戦

信頼性が高いというスミス調査の結果でも、南京大虐殺は否定されています。

送信者 真説・南京攻防戦

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前川三郎著「真説・南京攻防戦」生き証人たちが叫ぶ南京戦の実相

「真説・南京攻防戦』の感想

この本は、当時の南京を知る人々の証言を集めて、真実を明らかにするべく最大限の努力をした本だ。

全部で393ページの本で、今325ページあたりを読んでいる。

30万人を虐殺したという南京大虐殺は、まったくの虚構だとあらゆる角度から証明している。

マギー牧師とかいうのが南京の安全区にいて、彼が中国人が持ってくる情報をすぐさまタイプして送ったそうだが、日本軍の関係者がその現場に行ってみると、まったく何もなく、誰もいなかったそうだ。英・米・仏・独は、蒋介石の軍に武器を与えて、軍事顧問団も派遣したそうだ。



南京防衛軍の中国兵の生き残りは、逃亡したり、後の汪兆銘の南京政府の軍に参加したものも大勢いたそうだ。

ましてや民間人に対する略奪、暴行などは、軍規で厳しく罰せられたそうだ。


一部分を抜き出して、ネットにアップするのも、容易ではない。

この本をすべての人に読んでもらいたい、と思う。

ショッキングなのは、太字部分。
最初笑ってしまったが、だんだん笑えなくなった。
これほどの悲惨な戦いがあったとは知らなかった。

これを読んだら、もう南京大虐殺なんていってる連中を、断固粉砕したくなった。

命がけで国を守った日本軍の兵士達に、申し訳ないと思う。

60ページから引用

第3章 上海事変
一.扶清滅洋(清を助けて、西洋を滅ぼす)

南京攻略戦は、上海事変の延長、或いはそれが引き金となって起こったのであった。その上海事変は、大山事件、さらにその十日前の通州事件が直接の引き金となっている。その通州事件や大山事件も、決して偶発的な一つの事件ではなく、その背景や因果関係をたどれば、日清戦争までさかのぼらねばならないだろう。

何といっても中国は遠く二千年来の交流をもつ隣国で、しかも大国である。政治的、経済的に密接に関わりあわずにはいられない両国であった。その遠い過去はさておき、満州事変以降、両国に起きた大小無数の事件はその一切が、後年の日支事変、引いては大東亜戦争へと結びついていくのである。決して単純な善とか悪とかでかたれるのものではない。

日支事変直接の原因である満州国の独立にしても、日本としては北清事変、日露戦争による必然、当然の利権であり、日本の安全にとって避けられない正義であったのである。

その満州を独立させたことへの根強い中国人の反日感情も、中国人の立場としては十分理解できるが、日本人への暴行や殺害等のテロ行為は放任すべきことではなかった。その在留邦人の生命財産を守るために、自衛手段としての合法的な軍の出動は当然であり、それを怠ったとしたら、国民は政府や軍を許さなかったであろう。

この中国での軍の行動について、その後の戦争も含めて、「中国領土へ出かけてのものだから、侵略である」という理論がある。だが、これもそれなりの理由と事情によるもので、決して侵略ではなかった。中国は大国ゆえの絶え間ない騒乱が弱さとなり、早くから西欧列強の触手を呼び、アヘン戦争、清仏戦争、アロー戦争などを惹起し、その都度敗れて権益を列国に与えてきた。その侵略に抗しての、いわゆる「扶清滅洋運動」ー清を扶けて、西洋を追放ーが義和団事件(1900年)を海、その敗戦がかえって中国の半植民地化を加速させたのであった。
この義和団事件(北清事変)は、日・英・米・仏・露他八ヵ国の連合軍に中国軍が宣戦布告してのものであったが、その連合国軍二万のうち半数が日本軍であり、この事件鎮圧の主力であった。ロシアはこの事変のドサクサに満州を占領していたのである。

この講和条約の議定書によって、日本を含む各国がそれぞれの必要に応じて、移民や軍隊の駐留を行うこととなったのであり、軍の駐屯も事件への対応もまったく問題はなかった。

その事実とは別に、このような屈辱的な経緯や現実が、中国ナショナリズムを芽生えさせ、排他的な犯罪を続発させることになったのである。国民感情としては理解できるが、不条理きわまる反日、侮日の犯罪行為の続発に、日本の国民感情は日ごとに激高していった。

本来は、日本より早くから中国に進出(侵略)していた欧米列強への”扶清滅洋”すであったのだが、隣国であることや、交流が深いことで、日本に矛先を集中しての反日侮日行為であった。この中国の反日運動の激化は進出を競いあっていた列国にとって、歓迎すべきものであったことはいうまでもない。

こうして欧米列国も含めてのそれぞれが、自国の思惑や利害をからめ、大小無数のできごとを生み、展開していったのである。だからどの事件も、そこには各国それぞれの思惑や利権がかかわっていたのであった。

それら反日テロによる虐殺事件の都度、日本中の新聞は大きく報道し、「日本人よ怒れ!」とばかり、感情をこめて大きく伝えていた。こうしてともに募らせていった怒りや反感が、いく手に日支事変という全面戦争の運命を宿していったのである。

ともあれ通州事件、大山事件は残虐を極めた。

62ページまで引用しました。



降伏勧告文を中国語に翻訳し、飛行機から城内に散布したが、中国軍は無視した。

南京防衛の任に当たる最高司令官・唐生智は、5万の防衛軍・全軍に「首都を死守せよ」と命じ、自らはひそかに脱出用の列車を用意して、逃げていった。
その一週間後には、捕らえられて軍法会議に処され、直ちに処刑されたという。
(99ページ)

108ページから引用

どの陣地にも「臨陣退却者斬首」の布告が貼られ、事実大型ピストルを構えた督戦隊が、逃亡するものを容赦なく射殺したのである。前述のように、中には鉄鎖で足を結び合った決死隊が、いたるところの陣地で見られたのである。

「一人の日本兵も城内に入れない」との豪語を裏付けるように、確かに南京錠は一つの要塞に違いなかった。空を突くような巨大な城壁は、高さが20メートル、厚さは14メートル、それに土嚢を積み上げ、山砲でもびくともしなかった。その城壁の周囲には、幅35メート利、深さ4メートルの濠がめぐらしてあり、城内へ通じる道路は、拒馬や戦車壕をもって疎絶され、更に鉄条網を針、守る立場からすれば、「この堅城が突破できるはずがない」であった。それだけに、「この南京城必ず落とす!」と、前進を始めた日本軍の行く手は、まさに地獄の戦場であった。

南京防衛の外郭拠点として、中国軍が重視していたのは、城外北軍の紫金山と南西の雨花台であった。ここには、中国軍最精鋭といわれた「教導総隊」と「第88師」の有料兵団が配置され、日本軍の南京接近さえも許さない布陣であった。

要図が示すとおり、西北の揚子江を背にし、東と西を正面としての防御体制であり、市街を囲む城壁には、西から○江門、和平門、太平門等、十五の巨大な門があった。そのいずれの門も数日前より厳重に閉鎖し、更に土嚢を積み、南京城はもはやアリ一匹入れず、また当然出ることもできない孤城になっていたのである。この門の閉鎖が、後に外郭陣地から逃げ込もうとした兵士をパニックに陥れたし、落城時の退路を閉ざし、安全区への侵入その他悲惨な混乱を招くことになったのだ。

要図のとおり、日本軍は、右から第十三師団、第十六師団、第九師団、第三師団の一部、第百十四師団、第六師団、そして第十八師団の一部は揚子江をわたって対岸を、浦口へ向かう体制をとっていた。

ともあれ要塞化された城門城壁への肉迫は、将兵全員が文字通りの決死隊であった。無数の銃眼に身をさらしての前進に死傷者は続出し、一進一退の死闘であったが、各部隊は「首都一番乗り」を目指し、一歩一歩必死に迫っていった。

特に先に記した紫金山は、岩屋まで、遮蔽物がなく、その上急坂であった。加えて中腹には中山陵、明孝陵などの有名な文化財、史跡があり、これを傷めぬ配慮が攻撃を一層困難にしていた。ーー文化財などの保護はかねてからの厳命であった。

この紫金山も、第十六師団、第三十三連隊によって、12日夕方に第一峰を、そして、13日早朝に、第二、第三峰が占領され、外郭陣地の一角が崩れたのであった。

二.光華門

何期なお包囲した日本軍各部隊が、それぞれの攻撃目標に向かって、悲壮な死闘を展開したのであったが、それらの中から、「一番乗り」として名高い「脇坂部隊」(第九師団第三十六連隊ー鯖江ー)の「光華門の戦い」を、宮部一三著、「風雲南京城」から転載させていただこう。

(省略)

三. 痛恨と痛快

壮絶な死闘は、当然光華門だけではなかった。同じ首都攻防戦である。死守を誓う中国軍と、一番乗りを目指す日本軍が、いたるところで激戦を展開していたのであった。中国軍にとって重要な外郭陣地、雨花台方面の熾烈な戦闘を、小島襄著「日中戦争」より引用させていただく。

安徳門東南の要地雨花台は、その西側を第二十三連隊第二大隊、その東側を第四十七連隊第三大隊が、攻撃し、両隊の兵が互いに混交することも、しばしばであった。

起伏の多い地形、巧みに配置された火網、中国軍将兵の激しい戦意などが、日本側の前進を阻み、どの部隊でも指揮官の死傷が続出した。

第四十七連隊、第三大隊の場合、首藤中尉が指揮する第十一隊九十四人が菊花台東側に突入したものの、たちまち中国軍第五十八師の逆襲を受け、中隊は24人に減少した。
重傷を受けた首藤中尉をはじめ、片手、片足を失った傷兵までが戦い、ようやく第十中隊(荒金中尉)の来援を受けて、全滅をまぬかれた。「たくさんの部下を殺したなあ・・・・・・、すまない」首藤中尉は、血だるまになった体を右に左にゆらめかせ、落涙して合掌し、後送されていった。

日本軍が難儀したのは、以上の事情のほかに、もう一つ、いわゆる”糞攻め”なる環境があった。

第六師団と第百十四師団が攻める雨花台は、中国軍第五十一、第五十八、第八十八師が守備するが、万余の中国兵の排泄作用のおかげで、その陣内陣外は、糞便におおわれている。敵弾をさけて、伏せれば、鼻先に「糞の山」、鉄条網めがけてほふくしようとすれば、それは、”糞海”を泳ぎわたるにひとしい。

しかし、といって立って歩けば、間違いなく敵弾にみまわれる。「ええ没法子(メーファーズ)」、やむを得ぬ、とほふくを続ければ、鉄帽から靴の先まで、”糞まみれ”となる。-略ー

上述の南花台における第十一中隊の激闘は、”糞攻め”という異様な難儀も去りながら、その凄惨さにおいても、南京戦中特筆すべきものであった。この首藤中隊の死闘を、田中正明氏の「南京事件の総括」から引用させてもらう。


ー略ー、このとき敵は、首藤中尉を完全に包囲し、手榴弾、迫撃砲弾を集中した。中隊は暗夜で地理不案内のため、死傷者が続出した。中隊長、小隊長、相次いでたおれ、または傷つき、倉迫准尉を長とする全兵力は、わずか24人、この24人は、『最後の一平まで断固死守せよ!」と励ましあいながら、数回に及ぶ敵の逆襲を撃退した。(<注>最初第十一中隊の兵力250人が、次々と死傷し、最後の94人が、ついに24人となってしまったのである)
11日朝、救援の第十中隊がかけつけたが、長谷川正憲連隊長は、その余りにも凄惨な様相に思わず絶句し、落涙したといわれる。

第六師団長・谷寿夫中将は、第十一中隊の奮戦をたたえて、次のような賞詞を与えた。
「・・・・・・70名の戦死傷続出するも屈せず、残員一致協力、力戦、ついに中隊の残兵24名となるも、奮闘よく之を撃退して、あくまで該高地を確保・・・・・」

これは、南花台の凄惨な戦いの一例に過ぎなかった。
右のような痛恨きわまる戦いとは対照的に、胸のすくような戦いもあった。同じ「南京事件の総括」から転記させていただく。

歩兵第30旅団長、佐々木到一少将は、(38i、33i、8LPW、野砲一大隊基幹)支隊を編成、敵の退路遮断のため、紫金山麓から太平門、和平門を制圧し、下関街道を急進した。袋のねずみとなった敵の、唯一の遁走通路である○江門から下関への通路には、敵がひしめいていた。このひしめく敵兵や、揚子江岸に、機帆船や小船や筏を求めて、対岸に逃れんとする敗残兵に対して、猛射をあびせた。

折から、遡航してきたわが海軍第三艦隊は、十三日午前十時南京到着、砲艦「保津」「勢多」を先頭に一斉に砲門を開いて、江上から渡江する敗残兵を撃ちまくる。さらに国東支隊は、十三日午後四時、対岸浦口に来着し、上陸してくる敵を殲滅する、陸海呼応しての挟撃であった。

「実に理想的な包囲殲滅戦を演じたのである」と佐々木少将は、その自伝「ある軍人の生涯」の中で述べている。

このときのおびただしい敵の遺棄死体や、江上の死体がのちに「南京大虐殺」のうわさの火種となる。ただしこれは、いうまでもなく戦闘間の死体である。この中に常民が混じっていたとしても、それは不幸な戦禍というほかはない。

この胸のすくような殲滅戦を行ったときの日本軍将兵の痛快さ、それは、この当時の日本人のものであったはずである。このような朗報を国民のすべてが日ごとこいねがっていたのであった。
特に戦場にある将兵たちは、上海戦以来、日常多くの戦友の死に接してきている。その全身、全感覚は、一人でも多くの敵を倒すことこそ、至全であり、聖なる使命であったのである。後年、「殺人」だの、「犯罪」だのと騒がれることなど、どうして思いえようか。
次に、四、五千名の敵大部隊を一個中隊約200名で撃破した「新河鎮の激戦」を、偕行社刊の「南京戦史」から抜粋、引用しよう。


121ページ。

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中国の歴史認識について

中国と日本と、共同の歴史研究の結果がまとまったそうだけれども。。。

南京のことについては、意見が一致しなかったそうだ。

今、黄文雄氏の「日中戦争知られざる真実」という本を読んでいる。

厚い本で、なかなか読み終わらない。
黄文雄氏によると、中国は、易姓革命の国だから、勝者が歴史を自由に書き換えるのだそうだ。
だから、共通の歴史認識なんて、できるわけがないらしい。

天安門事件の写真を国民に見せないらしいし、文化大革命についても、ごくわずかの研究者とかでなければ、知らないらしい。

日中戦争のとき、中国人は、日本人のことを、どこかの軍閥だと思って、いたらしい。
大きな国なので、言葉が通じないことなどは、よくあることなのだそうだ。

勝者が入ってくると、歓迎するのが中国の慣わしなので、どこでも大歓迎だったとか。

ある場所では、バッタの被害から、日本軍が守ってくれたので感謝しているそうだ。
だいぶ話が違う。


汪兆銘という親日派の政治家が、南京を支配していたそうだ。

女性と男性の能力は、若干差があるというのが、今の定説。

女性のほうが、管理能力があって、家事などは、男性には無理という説がある。
とはいうものの、片付けられない症候群というのがあって、女性でも男性でも、整理整頓ができないタイプがいるそうだ。

イギリスは女王の時代に繁栄しているという話もある。

中国では、西太后とか、則天武后という女帝の時代がある。

西太后は、ライバルの女性の手足を切って、かめに入れたという映画のシーンが有名で、残酷な女性ということになっている。

しかし、今始まった「蒼穹の昴」という浅田次郎のドラマは、崩壊しつつある清を西太后の政治力で、確か60年といっていたと思うけれども、60年間延命させたとしている。

今、読みかけている黄文雄の本「日中戦争知られざる真実」では、清朝末期から、清朝が倒れた時期にいたるまで、内乱と天災が続き、春秋戦国時代のように、各地を支配した軍閥が争っていたと書いてある。

有史以来、中国では、戦争がなかった年はなかったそうだ。
広大な中国のどこかで戦争があった。

魯迅の「狂人日記」には、食人のことが書いてあるが、寓話だと思われているけれども、事実なのだとか。

孫文が、清朝を倒したと思っていたが、清朝が倒れたとき、孫文は中国にいなかった。

考えてみると、それは、ちょっと変だ。

清朝を倒した本人が、その場にいなくて、誰が、倒したのだろうか。

袁世凱という名前も聞いたことがある。

よくわからなかったけれども、黄文雄氏は、孫文が口ばっかりの人間だったというようなことを書いている。

かなり分厚い本で、なかなか読み終わらないが、とても面白い。

中国の近代史は、歴史の教科書で、1ページくらいしか書かれていないが、春秋戦国時代のように、いろいろな動きがあったらしい。

中国は、国ではなかったそうだ。

天下なのだそうだ。

その歴史の中で、蒋介石も、一軍閥に過ぎなかったが、毛沢東たちは蒋介石にこてんぱんにやっつけられていた。
それで、蒋介石と日本軍を戦わせるように仕向けたらしい。

蒋介石以外の軍閥も、蒋介石と日本軍が戦うことを望んでいたので、日本軍を挑発するために、日本人を虐殺したり、暗殺した。

このようなことが書いてある。

日本は、何とか中国との戦争を回避しようとしていた。もちろん、アメリカとの戦争も避けようと、最後まで努力した。

しかし、ハルノートでどうにもならなくなり、開戦やむなし、と、思いつめた。


現代も、政治力では、中国のほうが上らしい。

先日のデンマークの温暖化会議では、オンカホウ首相が、発展途上国を集めて相談していたところへ、オバマ大統領が入ってきた。
すると、オンカホウ首相は、テーブルをたたいて出て行けといったそうだ。

すごい。。。

中国は、ハイチにも国連経由で、治安維持部隊を送っていたそうだ。アフリカにも、中国から大勢人がいっていて、資源も確保してしまっているとか。

アメリカは、プラニングがすごい。

第二次世界大戦でもそうだけれども、緻密に分析している。

その米中が今、対立しつつある。

アメリカが台湾へ武器売却しようとしたけれども、中国がそれをやめさせようと圧力をかけている。

何とか、アメリカにがんばってほしいけれども。。。

中国は、暴虐な君主でなければ、治められないそうだ。
つまり、今の共産党支配の中国は、暴力でしか治められないということなのだろう。
中国には、中国の方法があるというわけだ。

中国は、上海万博が終わるまではおとなしくしているらしいが、その後、牙をむき始めたら、いったいどうなるのだろうか。

恐ろしい。。。

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